「何で出来るの」って思ってくれればいいのに

カウンセリングで、習い事の数学は結局駄目だったけれど、英語に切り替えたら途端に分かって出来て褒められて楽しいという話をした。
「でも何で数学はこんなにも出来ないのかって嫌になります」と言った。
子どもの頃からそう言われ続けてきた。何でできないの、あんたはやれば出来るのよ。それなのにやらないから出来ないんでしょ。苦手なものこそ努力しないと。
そういわれて、自分でもそう思ってきた。

でも、出来ないものは出来なかった。

「何で出来ないのって、しんどい言葉ですよね」と言った。
すると、カウンセラーが面白いことを言った。
「ですよね。出来ないところを標準にして、得意な部分を『なんで出来るの』とは思ってもらえないんですよね」

おー。それは私も考えたことがなかった。
でもそうだ。そっちの発想があっても良い。

カサンドラ

カサンドラ症候群という言葉を聞くようになった。
発達障害のある人と結婚した人が、相手の理解できない言動に振り回され、消耗することを言うようだ。
カサンドラ症候群は理解されずに辛い、と言う。

えーと。

「空気が読めない夫に疲れた」
いやいや、空気を読めとかわけの分からないことを言ってくる相手に疲れているのは発達障害者の側です。
「マイペースに生活する妻にイラつく」
あのう、家でぐらいマイペースでくつろぎたいって思ってはいけませんか。
「相手の気持ちを考えない暴言に傷ついた」
そういうあなたは相手に暴言吐いてないですか? 普通じゃない、ありえない、信じられない、絶対変、と否定して責めていませんかね。

発達障害がある側だってストレスを感じていても不思議はないのに、なぜ相手方ばかりがクローズアップされるのか。
大体、いわゆる健常者だって他人の気持ちを考えない人や他人を傷つけて平気な人はたくさんいますよ。
問答無用で発達障害者の側が加害者で健常者(かどうかは知らないが)の側が被害者のような決めつけ方はやめてほしい。

身辺の清潔維持

障害者手帳の診断書を書いてもらったときに、身辺の清潔維持が「援助があれば出来る」になっていたのがショックだった。
一人暮らしなのだから援助があるはずもなく、つまり私は不潔ということかと。

診察の際に聞いてみた。
「あのう、前回いただいた診断書、身辺の清潔維持が『援助があれば出来る』になっていて、私は今援助はないわけですが、私……不潔ですか? 診察室で臭ってたりしますか?」

ま、臭いですかと問われて普通の人なら臭いですとは言い難いだろうけど、お医者さんならそこは表現はともかく実際のところを答えてくれるだろう。私としてもこんなことは聞きたくないのだけれど、会社員をしている以上尋ねないわけにはいかない。臭いとか汚いとかはやはり困る。

先生は私の一世一代の勇気を振り絞った質問にあっさりと「ああ。あれはまあ申請用に適当なところに〇つけてますから」

えー!!!
そりゃそうじゃないかとは思ってましたけどね。
そしてそれはありがたいんですけどね。

でも、お医者さんがそんな「適当に〇」なんて公言しちゃっていいんですか。
そしてお医者さんの「適当」で申請って通ってしまうんですね。

うーむ。なんか、お医者さんの権力を実感した。

離脱症状その後

結局、途中少し落ち着いたかのように思えた離脱症状はいまだにひきずっている。
うつっぽい気分と攻撃的な怒りが交互に突発的にこみ上げるような状況で、おちこんでしんどくて出勤できなかったり、出勤すればしたで人と口論になったり、いや首にならなくて良かったと思ったほどのヒドイ勤務状況の1週間だった。
なお私はこのブログでも書いているメンタルクリニックの先生とはいい関係を築いていると思っているのだけれど、今週の怒りの矛先はこの先生にも向かった。
信用してたのに。こんな薬づけにしやがって。しかもこんな苦しい状況のときに放置しやがって。けっ、医者なんてどうせ薬の処方しかできないんだから、患者が薬はもう飲まないといったら打つ手はないよな。だからっていって、こんな目に遭わせていいってもんじゃないぞ、オイ。
今まで長年の信頼関係があったと思っている人にすらこうなのだから、転職したての職場での私の敵意は押して知るべし。
自分でもなんでこんなことになってしまったのか分からないほどなので、これはやっぱりお薬をやめたことと関係していると思う。
本当はやめるにしても段階的に減薬するべきだったんだろうな。
来週は落ち着いていますように。

私の忘れ物対策

私は忘れ物の多い子どもだったけれど、今の私は当人比で言えばずいぶんと忘れ物をしなくなった。
今日は私の忘れもの対策編です。

外出時に持っているものを置き忘れない、という対策は「荷物を1つにすること」「見える範囲から離さないこと」だ。
荷物は、1つなら覚えていられる。でも2つ以上になると1つ持ったら満足してしまって残りを忘れるということがよくあった。手提げが2つというのは最悪で、ほぼ1つは忘れる羽目になる。忘れるどこか道を歩いている間(たぶん)に落としてしまいそのまま気づかずに帰宅ということもあった。
今の私は荷物は必ず一つだ。
荷物を置いた場合は体に密着させる(足の間に置く)か、見える範囲に置く(電車で網棚に載せるのは立っていて見ている場合のみ。座るときは必ず膝に置く)。
子どもの頃困ったのは傘で、傘があるとどうしても荷物が二つになってしまう。分かっているのに忘れるのだ。今日は傘があるから気を付けようと思っていても忘れる。今は傘は折り畳みしか使わない。折り畳みなら袋に入れてバッグにしまってしまえば荷物1つというのは維持できる。

持って行かないといけないものを忘れること、が減ったのは「思い出したときに荷物の準備をしてしまう」と「メールの利用」だ。
明日持っていかないといけないものがあったというときは、前夜のうちにバッグに入れるか、靴の上に置いておく(玄関に置いておくだけでは不十分なので靴の上)。例えば直前まで冷蔵庫に入れておかないといけないものの場合などは、それを入れていく袋だけ靴の上に置いておいたりする。
メールは、会社で「翌日、家から持ってこないといけないもの」があるときによく使う。例えば、翌日会社に印鑑を持っていかないといけないとする。その場合は、そういう必要が生じたときに会社のメールから自分のプライベートメールに「会社、印鑑」とタイトルだけのメールを飛ばす。私はメールは毎日チェックするので、これで家に帰ったときに必ず気づく(そして気づいたら速攻通勤鞄の中か通勤靴の上へ!)
これはたまに逆パターンも使っていて、「そうだ、明日これ会社で確認しなくっちゃ」というようなこと(例えば健診の日程)は、そう思ったときに家のメールから会社のアドレスに「健診日程確認」のようにメールを入れておく。会社で見れば思い出せる。

ちゃんと覚えていよう、忘れないでいよう、と子どもの頃はずいぶん努力した。母にも「何で覚えてられないの!」「きちんとしなさい!」「この前も傘なくしたばかりでしょう。何で同じ失敗繰り返すの!」とさんざん怒られた。自分でも何でだろうと落ち込んだ。そして何か忘れ物や落とし物をして帰ってきたことに母より先に気づいた場合はまた怒られると思ってびくびくしていた。怒られて泣いて謝るのだけれどまたすぐ翌日にでも忘れ物。そりゃ母も怒るわな。

でも、覚えてられないものはしょうがない(開き直り)。
覚えてなくても忘れない方法を工夫できたら、それでいいよね。

そしてもう一つ。
さんざん忘れ物をした私が学んだことは、「たいていの忘れ物はなんとかなる」だ。
こういう「気持ち対策」も重要で、私はこう思うようになってからずいぶんと忘れ物のプレッシャーから解放された。
そして私の忘れ物のプレッシャーは主に「母に怒られる」だったので、一人暮らしをしてからはこのプレッシャーから解放され、そうするととても気持ちが楽になった。

今の私は子どものころより減ったとはいえ忘れ物をしないわけではないけれど、でもあまり忘れ物にびくびくしない。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

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