歯医者

よく発達障害のある人は曖昧な表現が苦手だとか先の予定が見えない状況が苦手だとか言われる。
私もそれなりにそういう部分はあるのだけれど、それでもそれなりに長い人生の中で、どうやらそれはそういうものらしいとずいぶんと我慢したり流したり分からなくても放置したりすることが出来るようになったと思っている。
ただ、極限状況に置かれると、そういう「学習したこと」というのはふっとびやすい。

今日の極限状況。「歯医者」だった。

歯医者さんて何であんなに怖いんだろう。本当に怖い。
昔、親知らずを抜くことになったときなんか、もう日程が決まった日から怖くて怖くてあまりにも怖すぎてそれしか考えられなくて、死刑執行日が決まった死刑囚のような気持ちだった(実際の死刑執行で執行日が死刑囚に知らされることはないが)
一応、年に何度かは虫歯チェックとクリーニングに行くようにはしているが、本当に毎回震え上がっている。

今回の犯人は、数日前の取引先からのお土産だった。
海外の甘ったるいチョコレートの詰め合わせで、「あゆみさん、どれがいいですかー」と部内を回ってきたときに「すごく疲れてる気がするから甘そうなのがいい」と(←普段私は甘党ではない)キャラメル系のチョコを選んだ。予想通りというか、予想以上の激甘のチョコで、その意味では目的通りだったのだが。
「あれ、なんかこのチョコ、石が入ってる?」と思って出してみると詰めていた部分が取れてしまっていた。

今日も打ち沈んだ気分と重い足取りで歯医者さんへ。
とりあえずチェックして、作り直した方がいいということになり、型を取ることになった。
なんか型を取る粘着質なゴム?みたいなものを咥えさせられると、「はい、じゃあこれちょっと噛んでてくださいね」と歯科医師はどこかに行ってしまった。
「ちょっと噛む」って、どれぐらいだよ! 大体ちょっとって、力の加減のこと? 時間のこと??
いらっとしながらとりあえず噛む。
噛んでちょっと待ち、ちょっと待ち、またちょっと待っているのに全然終わらない。
口の中が器具で圧迫されて痛い。
我慢していたのだがかなり痛くて我慢できなくなり、手を挙げた。
が、誰も反応しない。
手を振った。
誰も反応しない。
このあたりでかーっと来て、バシンバシンバシンと手で膝を叩いて音を立て、手を挙げた。
これでやっと気づいてもらうことが出来て誰かが寄ってきたので、左手の手のひらに右手の指で「なんぷん?」と書いた。
するとその人は「5分ぐらいです」と答えて立ち去った。

5分て、なんだよ! 5分かかるのか、5分経ったのか、残り5分なのか!
さすがにそれを手の平に書くのは厳しいので諦めた。痛いのは我慢した。

するとやがて「はい、そろそろいいですよー」と抜きに来たのだけれど、やはり相当外すときにも痛く、軽いショック状態でしばらく休憩を入れたほどだ。
その後のクリーニングでもうがいするたびに吐き出す水が真っ赤になった。クリーニングの際に多少出血することはしょうがないこともあるが(自分の歯茎の状況等にもよるらしいし)、真っ赤っていうのは初めてだ。

次回の予約を取るときに、受付で「次は違う先生にしてください」と頼んだ。
過去にもどこかの記事で書いたような気がするが、私はこういうことをためらわない。「先生に悪いじゃない」「次、顔合わせたら気まずくない?」なんて全然思わない。
そもそも顔合わせたって見分けられないしね(私は相貌失認です)

で、帰宅して、とりあえずアルコール消毒をせねばと思いビールを飲もうとしたのだけれど、口の中の違和感がひどい。口の周りを上から触ってみると固くなってはれ上がっている。虻に刺された痕のような感じだ。
うわー、アルコール消毒どころじゃないかも……いったいどうなっちゃってるの? とおそるおそる口の中を見てみると。

詰め物が入ったままだった。なんか白い円柱形の綿みたいなやつ。
即、歯医者に電話して、留守電だったが「詰め物が残ったままでした。今日の治療はあまりにも痛すぎましたし、不適切な治療を受けたように感じています。ご確認ください」と吹き込んだ。

これは、怒っていいと思う。
だけど、普通の人はたぶん「こんなには」怒らないんだよね。

ちなみに、もう10年来行っている歯医者さんで、普段はこんな目に遭ったことがない。たぶん土曜日だったのが外れた要因かな、と思わなくもないのだけれど(オフィス街なので、診療のメインは平日)。

つい、言っちゃうんですよ

カウンセリングでのことだ。
話していた際に、通院先のメンタルクリニックの先生の話が出た。
「そういえばヒドイんですよ。私、先生にこんな冷たいこと言われたんです」と愚痴ると、カウンセラーは「それ、そういう意味ですか?」と言う。それで「それはそうでしょう」と言うと「そうではないと思いますよ」と言うので、「じゃあどういう意味ですか」と尋ねると、「うーん、つまりですね、そうですね、それはこういう意味で……なんか言葉で説明するの難しいですね。まあいうなればこういう意味です。とにかく、それは先生はそういう冷たい意味ではないと思いますよ」と言うのだ。

なんか納得がいかず、「私(のコミュニケーション障害)を知らない人ならともかく、発達障害の専門の先生で、私も4年診ていただいてます。本当にそういう意味だったなら、私にはそういう言い方では通じないと分かるはずです。それに〇〇さん(カウンセラー)も、説明するのが難しいって、そういう説明には慣れていらっしゃるはずですよね」とやや憤然として言った。

するとカウンセラーは「そうなんですけど。でもあゆみさんと話していると、普通に話しているように話が進むことも多いので、つい普通の人相手の表現が出ちゃうんです。言ってから、ああしまった、これではあゆみさんに通じてないな、と言い直していることはあるんですが」と言うのだ。
実はこれ、その当のメンタルクリニックの先生にも言われたことがある。私が自分のコミュニケーションに障害と言われるほどの問題があるとはどうしても納得できず、「先生は私とお話になるときに、私の発達障害を意識して表現を選ばれてるんですか」と、「そんなことはないですよ、普通に会話してますよ」という答えを予期して尋ねたところ、「そうですね、時々言ってしまってからあなたの反応を見て、あゆみさんにはこの言い方では通じなかったな、と表現を修正していることはあります」と言われたのだ。

数学や体育に凸凹があるように、私のコミュニケーションにも凸凹があるのだろうか。
全般に低いのなら、「普通に話してしまう」ことはないだろう。
そうではなく、普通に話が通じるように見える部分も多いから、それでつい普通の話をしてしまって、それがたまたま私の凹の部分に当たってしまうと私は誤解してしまったり、相手が誤解してしまったりするのだろうか。
お医者さんやカウンセラーはいい。分かっているわけだし、そうやって様子を見て言い換えてくれているみたいだし、誤解があったとしても説明でお互い理解はできるだろう。
でも、日常で接するほとんどの人は私のコミュニケーション能力の障害を知らない。私の唐突な凹の部分には「なんだ、この人?」と思っていることも多いのかもしれない。
友達であれば、「ま、あゆみってこういう人だよね!」で済ませてくれるかもしれないが、社会生活では……。

それにしても「先生のセリフは冷たい意味ではなかったと思いますよ」というカウンセラーの説明でかえって落ち込んだ(理解できなかったことに)私って、なんだか悲観的だわ。
「冷たいこと言われたわけじゃなくて良かった!」とか思えればいいのに。

催涙ミスト?

私は相当負けず嫌いだし、他人に弱みを見せるのが嫌いだ。
女の武器は涙? なんですか、それ。
欲しいものは涙じゃなくて実力で。それでだめなら潔く。

どうも私は泣くのを人に見られることが恥ずかしいというのを超えて怖い。
だから人前で泣くことは大人になってからまずなかった。
(一人で泣いたりトイレで泣いたことはある)

それが……。
メンタルクリニックにいくと、ほぼ漏れなく、たぶん9割ぐらいの確率で泣く。
カウンセリングに行くとカウンセリング時間の大半を泣いて過ごすことがある。
当然相手は泣いていないわけで、日常生活だったらありえない光景だ。つまり、なんか卒業式とか送別会とかみんなが泣いている状況で泣いているのならまだいいのだけれど(でも逆にそういうときは泣けないタイプなのだが)、あるいは友達と飲みにいってお互い酔っ払い状態ならまだありだと思うのだけれど、相手が素面でじっと自分を見ている状況で自分も素面であれだけ泣けるって……私の今までの人生での自己基準では絶対にありえないことなのだ。
それが、「今日は絶対泣かない」と決心して診察やカウンセリングに臨むのに、何故か泣ける。
ああ、また泣いてるよ、私……なんて頭のどこかで思う冷静な部分が残っていたりするのに、涙が止まらない。

それで、思った。
泣くことによるカタルシスはよく聞く。
つまり、泣くことは精神療法なのだ。
……だから、診察室やカウンセリングルームには催涙スプレーが撒いてあるに違いない。部屋の空調に催涙ミスト(?)が注入されているのだ。
私のせいではなく、私の心が弱いのではなく、催涙スプレーに対する反応なんだから、しょうがない。
あー、そういえば、お医者さんもカウンセラーもいつも眼鏡をかけている。あれは催涙スプレー対策なのだろう。

そんなことを思ってしまうぐらい、泣ける。

そう思っていたら、この前初めてメンタルクリニックに行ったという人から、「診察で泣いちゃいました」と聞いた。この人も普段人前で泣かなそうな人だ。
やはり、どこのメンタルクリニックでも診察室には催涙スプレーが撒き散らしてあるに違いない。

体育の凸凹

数学が苦手というだけではなく、数学の中にも凸凹があったということに気づいて、他にも苦手だと思っていたことの中に得意なことも少しぐらいはあるんじゃないかなと考えてみた。
子どもの頃、何より苦手だったのは体育。
図工や習字もダメだったのだけれど、体育は恐怖感すらあった。

本当に壊滅的にどれもダメだったのだが、なぜか跳び箱だけ最初から飛べた。
飛び方を習った覚えはない。飛んでいる映像(最初、テレビか何かで見た気がする?)を一度見たら、どうすれば飛べるのか分かったのだ。それで最初に飛んだときから飛べた。
小学校時代の6年間を通じて、体育で先生から「あゆみさんにお手本を見せてもらいましょう」と言われたのは、後にも先にも跳び箱だけだった。
なぜ、跳び箱だけ飛べたのか今でも不明。同じ系統と思えるようなマット運動や平均台は全くダメだった。

細かい凸凹

発達障害のある人は能力の凸凹が大きいと言われる。

私は中学の頃から数学が苦手で、自分はきっと脳に数学細胞がないのだと思っていたぐらいだった。本当にただ事ではなく数学が分からない。そのままずっと大人になってしまったのだけれど、最近大人の数学を習い始め、プライベートレッスンを受けている。

中学数学をやっている。
最初、正の数/負の数だの、単項式に多項式だの、ねじれの位置だの、あーなんかやったねーみたいなことをふんふんと聞いていたのだけれど、二次方程式が出てきたとたん本当に何も分からなくなった。先生がどう言葉を尽くして説明してくれても分からない。
かろうじて、パターン化で解ける問題の一番単純なバージョンが解けるようになったところで先に進むことになったが、分かったわけではなくて手順を覚えただけなので、この手順を忘れたらまた解けなくなると思う。
そして図形に進んだ。すると先生が「幾何はずいぶんカンがいいですね」と言う。確かに中学時代も図形はあんまり苦労しなかったな。
そして先日、確率に進んだ。なんか急に簡単になったなと思いながらふと例題で気になった点を先生に質問すると、先生は「え?……じゃあ、一緒に考えてみましょう」と言って私の疑問を一緒に計算しながら解き明かしてくれた。
「あー、なるほど!」と私が感心すると、先生はちょっと沈黙してから「その質問、大学レベルです。あゆみさん、二次方程式は本当に苦手そうだったのに……。方程式も図形も確率も、難しさとしては同じ程度のはずなんですよね。多少の得意不得意はあっても、中学数学のレベルぐらいだと得意な人は大体どれも得意だし、苦手な人はどれも苦手なことが多いです。こんなに分野ごとに極端な差がある人は珍しいです」と言った。

発達障害の凸凹というのは、「国語が得意で数学が苦手」というようなおおざっぱなくくりだけではなく、その数学の中にすら「方程式は苦手だけれど確率は得意」というような細かい分野ごとの凸凹が(それも大きな差のある凸凹が)あるのかもしれない。

ところで、この先生に私はお決まりのセリフを言ったことがある。
「だって、数学なんて実生活で使わないですよね。何で勉強しないといけないのか、何の役に立つのか全く分かりません」と。
するとこの先生は、「それは知らないから使わないだけです。知っていれば数学は実生活でも使うんですよ」と答えた。
おお。そうなのか。なるほど。そうなのかもしれない。
そう思った。

でも、「じゃあフェルマーの定理って何か実生活に役に立ってるんですか?」って訊いてみたら、「うーん……フェルマーの定理はあまり実生活には関係ないかもしれないですね」と言っていたけれど。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

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