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昨日、このブログで書いた「京都市長と私の似た発言」をリンク先の「無事にね!」の「自閉っ子の想像力のモンダイ」で取り上げていただいた。
その記事を読んで、また私も新たに思うところがあったので……。

同記事では、お嬢さんが「テレビに映っている人の欠伸がお母さんに移ったのか、お母さんの欠伸がテレビに映っている人に移ったのか分からない」という話が出ていた。
私は、これは分かる。
だけどこの記事を読んで思い出した。

以前、メンタルクリニックを受診したときに、お医者さんに「私はサリーとアンの心の理論は分かるんです。ちゃんと想像できてるっていうことですよね?」と尋ねたことがある。
ところがこの時先生は、「あなたのは想像力じゃありません。あなたは学習して暗記してきたんです」と言ったのだ。

どうしてそんな区別がお医者さんにつくのかは分からないけど……。
でも、そう言われて、そうなのかもしれないと思ったのだった。

というのも、私は子どもの頃から「相手の立場になって考える」「相手の気持ちになって考える」ということが分からないようだ。
母に「〇〇ちゃん、そんなこと言われてどんな気持ちだったと思う?」と言われても、「〇〇ちゃんじゃないから分からない」と答えていた。これはふてくされているわけでもひねくれているわけでもなく、本当に正直な気持ちだった。
その後、「あんただったらそんなこと言われてどう思う?」に質問が変わり、それだったら「私だったらそう言われたらこう思うかな」と言うところまでは答えられていた。

私の想像力は、そのあたりが限度だ。今でも。
「相手の気持ちになって考える」と、「自分がその立場だったらと考える」のは、かなり違うことだと思う。
周囲の人の会話を聞いていると、「〇〇さんはポジティブだから、そういうこと言われたらいい方にとらえるよ」とか、「××さん繊細だからそんなこと言われたら傷つくかもね」とか、その人に合わせた前提で反応を予測している。
私はそれが分からない。「自分がそんなこと言われたら」とは思うが、「その人がそんなことを言われたら」が分からない。
だから、「自分なら言われても気にしない」ことは、他の人も気にしないだろうと思ってしまうのだと思う。
だから、自分の感覚が周囲とずれているときでも、平気で自分の感覚で物事を言ってしまうのだと思う。そして空気が凍り付くのだけれど、空気を読めない私だけが自分がその場の空気を凍り付かせてしまったことに気づかない。
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2019.07.22 Mon l 発達障害 l コメント (0) l top

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