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普通になりたい

普通になりたい。普通だったら良かった。
前回の診察で私は「普通になりたかったんです」と大泣きした。

先生は「普通に見える人だって、みんなそれぞれに事情を抱えていますよ。普通が何かなんて分かりませんよ」と言う。それはそうだろう。でもやっぱり、普通の範疇というものはあると思う。
私はそこにおさまりたかった。

これが例えば、医学部を出てお医者さんになるのだって十分「普通」ではない。でも、そういう人は普通になりたかったとは思わないだろう。
知能検査だって標準(100)から20か30か下に離れていれば知的障害だろうが、上に20や30離れていたところで特別のことではないだろう。
つまり、上に外れている分にはそれを「普通でありたい」とは思わないだろう。
私が「普通になりたい」とここまで強く願うのは、自分が劣っていると思っているからだ。普通の人からマイナスの方向に外れていると思うからだ。
自立できる能力がなんだと言うのだろう。学校の成績が良かったことが何の役に立つのだろう。難関資格を取ったことに何の意味があるのだろう。
もちろん、これらのおかげで私は自活が出来ていて、ある程度の自由を維持している。それをありがたく思うべきだと思う。
だけど、私の劣等感には、何の役にも立たない。

私は子どもの頃から普通になりたくて、どうすれば普通になれるのかと必死でそれに近づこうとしてきて、でも人生の半分をかけてついにそれがつかめなかった。
おそらくこの先急にそれが変わることはないだろう。
普通でない自分に自己肯定感を持とうとしたこともある。ありのままの自分でいいのではないかと考えようとした。でも、駄目だ。

普通でありたい。
普通が何か分からないけれど、それでも普通になりたい。
私は人生の後半も、この決して叶うことのない欠落感を抱えて生きていくのだろう。
普通に見える人達をうらやみながら生きていくのだろう。

そう考えると、もう何もかも、嫌になる。
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プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

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