FC2ブログ
私は体力がないというわけではないと思うのだけれど、人込みが苦手だ。
これは都内にいると結構致命的だ。どこに行っても人込みだし。そして通勤の上でも満員電車という恐怖の存在がある。今、出勤時間のかなり前に出勤しているのだけれど、それでも私の基準からすると混みすぎていて、しんどい。

私は優先席は自分が座っていいところではないと思っているけれど、時々本当にしんどいときに空きがあれば座らせてもらっている。
でも、視線を感じることがある。

それでヘルプマークをもらおうと思った。
世の中いい人ばかりではないのでヘルプマークが見えるような状態で歩くことは不安だけれど、優先席に座るときだけちょっと見えるようにしておこうかと。

ネットで見ると区役所の、障害者手帳を申請したところでもらえるようだったので、今日たまたま少し日中時間があったので行ってきた。

「すみません、ヘルプマークがいただきたいんですが」
というと係員の人は「ヘルプマーク? あー、ヘルプカードですね(※どう違うのかは不明)。もう在庫がないのでここでは配っていません。〇〇交付所に行ってください。〇〇区は駅前にもありますから」と、あっさり。
区の障害者関係の窓口にないってどういうこと?
と思いながら、とぼとぼと徒歩15分ほどのその最寄りの〇〇交付所に行った。これもハブステーションの〇〇ターミナルにあり、普通には到底たどり着けるようなところではなく、私は3人ほどに尋ねながらやっとたどりついた。
(地方の方に言っておくと、都内のハブステーションの改札口とかターミナルといいうのは複雑怪奇ですさまじい数があり、しかも東口改札が西側にあったりるすので意味不明です)
そこで「ヘルプマークが欲しいんですが」と言うと、「在庫がないので……ああ、〇〇営業所にあったかもしれません。確認しますね」と内線をかけ、「〇〇営業所にはあるようです」と、地図を見せながら説明してくれたが、徒歩15分(混雑を考えればたぶん5割増し)
ヘルプマーク必要とする人にその距離歩けって言うんですかね。

区役所にも駅前ターミナルにも「在庫切れ」のヘルプマーク。
本気で普及させようなんて、ちゃんちゃら思っていないんだろうなあ。

結局、入手できなかった。
スポンサーサイト
2018.09.28 Fri l 発達障害 l コメント (0) l top
少し持ち直したと最近の記事で書いた気がするけれど、実際には全然ダメだ。
もうヘトヘトだ。

朝、ベッドで目が覚めて、ぼーっとしながら涙が溢れる。
これじゃ会社行かれないよ…とぼんやりと思って、動けるタイミングでベッドサイドのデパスを飲む。
なんとか(時には赤い目のまま)会社に行き、日中必要に応じてデパスを飲みながらなんとか仕事を終える。
外食する気力もなく、帰りにスーパーで買ったお惣菜やカップラーメンを食べながらビールと焼酎を飲む。
嫌々お風呂に入り、寝る支度をして、泣きながら焼酎とデパスとリスパダールと、場合によってサイレースを飲む。
(「泣く」にまったく理由はない。ただただ泣けてくる)

ダメだよなあ、こんな生活。

それにしても今、会社に行くのがしんどすぎて、これはたぶん満員電車での通勤というのが本当にしんどすぎて、調子の悪さも手伝って、もう限界だと思った。

会社で、上司に言ってみた。
「お給料は割合いに応じて減額してもらってかまわないので、勤務日を週4日にすることを考えていただけませんか」と。

この上司、以前私がノイズキャンセラーや隅っこの席を希望したときに「聴覚過敏」と説明したら、とても理解を示してくれたことがある。
それで、「自閉症で、こういう環境での仕事が非常にストレスがたまる」と言ってみた。
(私の正式な診断名は自閉スペクトラム症ではないのだけれど、めんどくさいのでこう言っている)

すると、上司が驚く程の理解と共感を示してくれた。週4日の勤務についても考えてくれると言う。
1回言ったぐらいじゃ難しいだろうなと思っていたので私の方がびっくりして、「何でそんなに理解があるんですか」と思わず聞いてしまった。

すると上司は。
「実は自分はADHDで。学生時代に診断されて、今でも(50代後半)毎日服薬しながら生活している」

えええええええーっ!!!!!

全く、気づきませんでした。
分からないものだなあ。
上司も、頑張っているんだなあ。
そして私も傍目には、分からないんだろうなあ。
2018.09.27 Thu l 会社 l コメント (2) l top
私は初診のとき、お医者さんに「あなたの脳の機能は世の中の95%の人のグループには属していません」と言われた。

95%に属したい。
それがたぶん私の考える「普通」だ。95%だったら、たぶん「普通」だ。
羨ましい。

知能検査の結果によると、私の知能は世の中の95%の範囲に収まっている。
知能が普通なら、私を普通でなくしているのは何なのだろう。

もうどうやっても普通になれないのだろうということは、分かってはいる。
でも普通になりたい。

普通と「違う」のだと表現される。
でも私はそうは感じられない。私は普通より「劣っている」と思う。
どんなに頑張っても気をつけていても周りの人についていかれない。同じことが出来ない。

数字で計れるような能力ではない。純粋な能力なら、私だって捨てたものではないと思えるような部分もある。
でも、そうじゃない。そこじゃない。
普通になりたい。

※追記。コメントにお返事が出来ていなくてすみません。
この「ふつうになりたい」テーマは私にとって重すぎて、考えるところも多すぎて、今これ以上に考えがまとまりません。
いずれもう少し落ち着いたらお返事できるかもしれませんが、出来なくてもご容赦ください。
別に不愉快になったとか傷ついたとかコメント無視するとかそういう意味ではないです。
2018.09.26 Wed l 発達障害 l コメント (4) l top
私のこのブログの記事ではメンタルクリニックネタの方がカウンセリングネタより多いけれど、実は私はカウンセリングもかなり頼りにしている。
なんといっても、落ち着いて話せるのがいいねえ。
(メンクリの先生は必要なときには急かさずに十分に時間を取ってはくれるけれど、50分自分の時間として確保できているカウンセリングとはやっぱり違う)

でも、自分の中ではお医者さんとカウンセラーは違う存在で、例えば「お医者さんの都合がつかないからカウンセラーに」とか、そういうことにはならない。両方にきいてみる、みたいなことはあるけれど、それも複数の意見を聞きたいというような感じだ。

どう違うのか、考えてみると。
お医者さんはやっぱり、現在進行形で「具合が悪い」ことについてだ。だから基本的に、やはりお薬の治療になる。
カウンセラーはどちらかというと、「どう良くしていくか」だ。だから、失敗談なんかをもとに、どうすれば良いのかというような話になる。

両方とも、私にはとても必要だと思う。だから、当分この両輪建てでやっていきたい。
だけど、やっぱり調子が悪いときにはお医者さんへの依存度が高まる気がするし、調子が良くて先行きのことが考えられるときにはカウンセラーの比重が高まる気がする。

そういう意味では、今はちょっと調子悪めかな。
2018.09.25 Tue l 発達障害 l コメント (2) l top
何でも聞いていいと言われたが、その範囲が分からない。
分からないなら試してみるしかない(?)

というわけで、メンタルクリニックの先生にはメールを送ってみることにした。
返事があるか? 次回診察のときに何か言われるか?
そのあたりで温度感をはかってみようと思う。
(といってもストレートな私はたぶん診察の際には直球で尋ねるが)

決してでっちあげた質問ではないけれども切羽詰まっているというわけでもない質問をメールしてみた。
おとといのメールには今のところ返信がない。
さっき第二弾を送ってみた。

これで返信がなければ、ちょうど来週診察なので、そのとき「どこまでお聞きしていいんでしょうか」と聞いてくることにしよう。
(しかし気をつけないと、こういうとき私は「何でも聞いていいっていったのに聞いたことに返事もないってどういうこと!!(怒)」となってしまうのだ)

9月29日追記。
先生からは何の返信もなかった。試し行動だとわかっていてあえて返信しないなら先生さすがと思うんだけど、単純に相手にされてない気もするので、それは先生どうなのと思う。お医者さんに試し行動なんて間違っていることは分かっている。でもそうするだけの理由はあるのに。
2018.09.25 Tue l メンタルクリニック l コメント (2) l top
また出たよ、分かりにくいセリフ。

私が考えている副業は医療方面ではないのだが、メンクリの先生にとってある程度馴染みのある分野らしい。
それで診察の際に時々副業の話などもするのだけれど、この前、先生が「私が知っていることは何でも教えてあげますから」と言ってくれた。

先生、ありがとうございます。

とは素直に思う。
だけどですね、先生。そういう表現は私には難しいって分かるでしょ。これだけの年月つきあってきて、しかも先生発達障害の専門家で、ある意味私の弱点を私以上に知っているはずで、それなのに何でこういう言い方するかな~。

つまり、「何でも」と言われれば、私は「何でも」なのだろうと思う。
しかしそこは長年の経験で、こういうときの何でもは本当に何でもではないということは理解できる。

というと、結局どうなの? 
という部分がどうしても理解できない。
こういうときの「何でも」はどこまで期待していいの? それともこういうときの「何でも」は全く期待しちゃいけないの?

はぁ。
しょうがない。今度の診察の際に覚えてたら聞いてみよう。
「先生、『何でも教えてあげますから』の何でもって、どこまでですか」
多分こういう聞き方もストレートすぎるのだろうということは何となく分かる。でも、他に聞きようを思いつかない。
2018.09.23 Sun l メンタルクリニック l コメント (2) l top
面白い本を読んだ。
発達障害とか仕事とか勉強とか関係なく、純粋に読んで面白かった。
「カラスの教科書」

カラスについてのさまざまなことが書いてある。生態、行動、生息地、人間とのかかわり、世界のカラス、遊び、知能、家族…
こういうことを知るのはとても楽しい。私はどちらかというと哺乳類の方が好きなのだけれど、その分鳥は知らないことだらけで新鮮だった。

嫌われ者のカラスだけれど、私は別に嫌いではない。目が合っちゃったりすれば怖いと思うことはあるけれど。
(でもこの作者によると、怖がっているのはカラスの側だとか。人間はカラスから見れば体重にして100倍、逆の立場に人間を置くなら、アフリカゾウと目が合っちゃったようなものだそうだ。そりゃ……怖い)

そして何より楽しいのは、この作者から溢れるカラス愛!
この人、本当にカラス好きなのねえというのが行間から溢れて流れ出してきて、こういうのは読んでて楽しい。



カラスの教科書



この本を読みながら、私は別にカラス嫌いじゃないなと思っていたのだけれど、さほどカラスと接点がない私がそう思うのはもしかすると子どもの頃に読んだこの絵本のおかげかもしれない。大好きだった。


からすのパンやさん (かこさとしおはなしのほん (7))

2018.09.23 Sun l 日常 l コメント (0) l top
旅行中に頭痛がした際に頭痛薬を飲んだところ、友達がそれを見て「薬なんて飲まない方がいいよ」と言った。
分かっている。
この友人、お母様が睡眠薬をきっかけに認知症になってしまった(と信じている)ということで、私に対しても心配して言ってくれていることは分かる。私だって飲みたくない。
だけど頭痛があると、旅行どころではない。しょうがないじゃないの。

翻ってメンタルクリニックの先生は、私がお薬は出来るだけ避けたい、早く止めたいと言うと「生活習慣病のお薬だと思ってずっと飲めばいい」と気楽なことを言う。
いえいえ先生、お薬なんて飲まずに済むなら飲みたくないですよ。生活習慣病のお薬飲んでる人だって飲まないでいいなら飲みたくないと思いますよ。

実際の私は今、その中間ぐらいの感じで生活している。必要なお薬は飲むことにしていて、でも本当は飲みたくない。
リスパダールと、必要に応じてデパスやサイレースを飲んでいる。
リスパダールは本当に抵抗があって、自分をおしつぶされる気がして嫌いなのだけれど、でも楽になるのも事実なのだ。自分でも手綱のつけられない私の激しい怒りを押し込んで押さえつけて平らにしてくれるのはリスパダールだ。リスパダールを常用するようになってからだが震えるほどの激しい突発的な怒りを覚えることが少なくなり、これはとても楽だ。
楽さと、でも嫌悪感と。

話は違うけれど、これを書いていて以前「ダンナが本当に嫌いなんだけれど、離婚したら今みたいな生活は出来ないから、ATMだと思って我慢している」と言った知り合いの話を思い出した。
ある意味、私にとってのリスパダールというのはそんな感じかもしれない。リスパダール本当に嫌いなんだけれど、飲まないと社会生活が難しいから、生活を維持するために我慢している。

こんなとき、「じゃあ離婚したら?」とはそう簡単に言えない。
同じように、「じゃあリスパダール止めたら?」とも簡単には決められない。
2018.09.22 Sat l l コメント (2) l top
私は挨拶が苦手だな、と思うことがある。タイミングがつかめないというか、言おう言おうと思っている間にうまく言えずに無言になってしまったりとか。

この前、カウンセリングで話していたときに、何かメンクリの初診のときの話になった。
初診のとき、私は絵カードを見せられて「ありがとう」という場面にふさわしいものを選んでください、と言われた。
詳細は控えておくが、先生が「たいていの人はできちゃうんですけどね」と言ったこのテスト、私は回答率50%、先生からのサジェスチョンがあっても最後まで終えることが出来なかった。

つまり、私はたいていの人がありがとうと言うと認識できる場面のうちの半分程度しか、それをありがとうと言うべき場面と理解できていないのではないだろうか。お礼を言うべき場面の50%でしかそれをお礼を言うべき場面だと分かっていないのではないだろうか。あとの半分は本来お礼を言うべきなのに何も言っていないのではないか。

そう思ってカウンセラーに「テストで50%ということは、実生活でも50%ということはあるでしょうか」と尋ねてみると、「それはあるかもしれませんね」とのことだった。

挨拶も出来ず、お礼も言えず。
それが私の現状なのだろうか。物心ついてからの40年以上頑張ってきて、もう私のソーシャルスキルは上がらないのか。平均以下か。周りには無礼者と思われているのか。社会常識がないという烙印を押されているのだろうか。

カウンセラーに、そういうソーシャルスキルを上げられるようなトレーニングをしてみたいと言ってみたのだけれど、そういう大人向けの教材は思いつかないと言う。

カウンセラーに「普段、私とカウンセリングの際の会話でそんなに違和感ありますか?」と尋ねてみると、「まあ、普通の、いわゆる標準発達の人とはいろいろ違うなとは思いますね。テンポとか、内容とか、反応が」と言われた。

これだけ普通にふるまおうと努力してきても、所詮やっぱりそうなのか。

あー、もう、嫌だ。
2018.09.22 Sat l 発達障害 l コメント (0) l top
一体何だったのか全く分からないながら、無事に浮上してきました。
金曜(昨日)は朝ちゃんと会社に行かれて、夕方からは会社の人と軽く飲んで、その後は友達と美術館(障害者手帳で無料。障害者手帳さん、本当にありがとう!)と飲み。
楽しく過ごして帰ってきて、アルコールでバタンキュー。
今朝も予定があり起きるとすっきり、出かけても快調。
帰ってきて缶ビールを摂取しながらこれを書いてます。

思い起こせば前にもあったなー。
あの時も確か特にこれという思い当たる原因がないのにひどい落ち込みがあって、でもこれまた理由なく浮上して、ということを何度か繰り返したんだった。
あぁ、しまった。余計なことも思い出してしまった。
その後の診察でその話をしたら、お医者さんから躁鬱(双極性)を疑われたんだった……。
先生、気分の浮き沈みなんて誰にでもあります。なんでもかんでも障害や病気にしないでください。
そう思ったんだった。思ったというか、そう言ったんだっけ。
うーん、お医者さんてそういう傾向あるからな。今回の件も言わないでおいた方がいいかな。変にお薬増やされても困るし。

気分が上向いてくると睡眠時間は短くていいし、ふわっと上がった感じはあるし、頭がクリアになってアイデアが湧いてくる気はするし、そういうことだけ見れば躁っぽいともいえるかもしれない。
でもそんなの誰でもちょっと気分がいいときにはある感覚だろうし……お医者さんてそういう「普通の上がった感じ」と「躁状態」っていうのをどう見分けているんだろう。同時に「普通に(悲しいことや悩みで)落ち込んでいる感じ」と「病的な鬱状態」をどう見分けているんだろう。
2018.09.22 Sat l 日常 l コメント (2) l top