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ちいさなことにイライラしなくなる本


これを読んでみた。
確かに私が問題だと感じている自分の怒りは「ちいさなこと」に対して怒ってしまうのをやめたい、コントロールしたい、ということなのだ。怒るべき場面で怒るのは、怒り方の問題はあるかもしれないけれど、それはそれで必要なことだと思っている。
で、タイトルと本の案内に惹かれて、これを読んでみた。
アマゾ〇の紹介にはこうある。
―――――――――――

みなさんは1日に何度くらい、イラっとしますか?

たとえば通勤電車はどうでしょう?
狭い席なのに、体をこわばらせて、少しも詰めない人。
塗れた傘がこちらの服を濡らしてるのに、お構いなしの人。
目の前に立って新聞を大開放させて読む人。


―――――――――――

うんうん、あるね。
電車が揺れたはずみに人の足踏んでおきながら、気が付いているくせに無言の人とか。

それがもしこの紹介文のように
―――――――――――
短気なあなたが、「おだやかなあの人」に変われます!

―――――――――――
なんてことになるなら素晴らしい!

と思って読んでみた。

こういう本は、何から何まで自分にぴったりということはない。1冊読んで、せいぜい1つか2つ、自分に使えそうなヒントがあれば良い、ぐらいに考えている。
そういう意味でいえば、2つぐらいは自分に合うな、と思った考え方があった。

口先だけで上司の顔色ばかりをうかがうご機嫌取りにむっとしたとき。
「社交辞令の練習と考える」

ルールや常識を守らない人が野放しになっているとき。
「世の中理不尽なことはたくさんある」

記憶ベースで書いているので言葉どおりではないけど、このあたりは使ってみようと思った。

だが、しかし……。
この本を私が人におすすめするか、と言われたらお勧めはしない。
なんか、こんな本を人に勧めたら、常識のない人に思われそうだ。

だって、すごい。
自分の怒りの見極め方は、内心の声を探れというのはいいのだけれど、その探り方は、「ぴったりの原因に思い当たれば、指がぴくぴく動きます」
と、まるでコック〇さんか?

さらには、怒りがこみあげたときには水を飲むといい、というのは一息入れるという意味でよく言われる方法で、私もふんふんと読んでいたのだが、この本によるとその理由は「水によって脳内の塩分濃度が薄まり、怒りの電流が帯電しなくなるから」
ほ、ほんとか……?
よく出版社がこんな出版OKしたな。
編集者、ちゃんと読んだのか?

しかしこの著者、心理士として活躍中らしい。
カウンセリングでこんな指導をしているのか。
私のカウンセラーが「水を飲むと脳内の塩分濃度が薄まって怒りの電流が」なんて言い始めたら、たぶん次回の予約は取らないな。

でも、「ひでー、こんな本買って損した! こんな紹介文、大嘘だろ!」と激怒せずに「うわ、こんな本が商業出版されるのか」と面白がれたのは、立派なアンガーマネジメントなのかもしれない。

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2017.10.31 Tue l 日常 l コメント (0) l top
また、つまらないことで怒ってしまった。

大した話ではなかったのだ。
通販で買ったものの配達日の変更が出来るかゆうパッ〇に電話したところ、間違った案内をされただけのことだ。
だが、間違いが発覚し、再度かけなおしたとき、私の怒りは収まらなかった。
その時電話に出たのは間違った案内をした担当者ではない(ゆう〇ックはカスタマーサポートのくせにスタッフが名乗らないが、声が違う)。この担当に怒っても仕方がないのは分かっているのに、声が荒くなるのを止められない。
自分でもこんなに怒ることではないと思うのに、コントロールできない。

1つの原因としては、私は待たされるのが嫌いなのだが、このゆ〇パック、何時に電話をしても「ただいま、大変混みあっています。そのまましばらくお待ちください」と延々と保留音になり、その後「ただいま、大変混みあっています。そのまましばらくお待ちいただくか、しばらくしてからまたおかけ直しください」と案内が流れる。
「そのまま待てと言って待たせておいてから、待つかかけなおすかにしろというのは不親切すぎる! つながらないぐらいの混雑なら最初からまた時間をおいてかけなおしてくださいと案内しろ!」と怒りがこみ上げる。
そして私は家に固定を引いていないので、この延々と待たされる間通話料金がかかっている(5分までかけ放題のプランなのだけれど、優に5分以上待たされる)
そういう細かな怒りがつみかさなり、間違った案内となるとどっかーんと来てしまったのだ。

とにかく、普通の人が「イラっとくる」「ムカッとする」ぐらいのことで「どっかーん」と来るのは何とかしたい。
これは何度もカウンセリングでは相談し、それなりのアンガーマネジメントも試みている。
でもどうにもならない。

久しぶりにアンガーマネジメントの本を買ってみた。
カウンセラーに相談するだけではなく、またちょっと自分でも考えてみようと思う。

人間、怒るべきときには怒らなくてはいけないが、普段は怒らない方が精神衛生上良い。

しかし発達障害には易怒性(怒りやすさ)が見られることが多いと聞く。
私の欠点を何もかも発達障害のせいにするつもりはないのだけれど、こんなに怒りっぽいのはやっぱり普通じゃないのかなあ、と不安になる。
2017.10.30 Mon l 日常 l コメント (0) l top
カウンセリングに行ったときに、職場でのコミュニケーションの話をした。
私が「書籍だったかブログだったか忘れましたけど、当事者が書いた表現で『発達障害とは簡単に言えば、人に嫌われる障害のことである』っていうのを読んで妙に納得したことがあるんですが」と言いかけた。
これは「なので、周りの人に嫌われないようにするにはどうしたらいいのでしょうか」と尋ねるつもりだった。

が。
「発達障害とは人に嫌われる障害のこと」と言ったところ、カウンセラーがぷっと噴き出した。
「あ、すみません」と表情を取り繕おうとするものの取り繕えず、にやにやとしている。
このカウンセラーは普段にこにこはしているが、このときはにやにやだった。おかしくて抑えきれないという感じだった。

取りようによっては失礼な状況なのだけれど、このカウンセラーとのつきあいも長いし、私はこのカウンセラーに言われることは不思議と気にならない(カウンセラーの技術だとも思うけれど相性もいいのだと思う)。

「……そんなに面白いですか。まあ、言い得て妙ですよね。やっぱり、思い当たるところおありですか」と尋ねると、カウンセラーは笑いをこらえきれない表情のまま、「面白い表現ですね」と微妙な答え方をした。

うまい表現だ、ぴったりだ、と思ったんだろうな。
当事者の私もそう思うし。
「人に嫌われる障害」「人を怒らせる障害」だなあとしみじみ思う。しかもこれが「障害」だから、本人にはどうにもならないんだよね。
2017.10.27 Fri l カウンセリング l コメント (6) l top
以前に何度かこのブログでも書いたが、今私がいる部門には「おそらくこの人は発達障害(自閉系)で間違いない」と感じている人がいる。私はちょっとコミュニケーションが苦手なぐらいの人を何でもかんでも発達障害と言うのは嫌いなのだけれど、この人(Aさん)は間違いないと思う。なんというか、私と同じニオイがする。

ある部門からの依頼メールがAさん宛てにあり(仕事のメールは私にCCが入るようになっている)、Aさんが「こういう方法でいいですか」と尋ねるとその依頼してきた人は「いえ、普段使ってるこの方法でやってください」と別の書式を指定してきた。こちらにとってはその方法はどちらでも大差ない。
しかしここでAさん、「普段別の方法を使っているのはこういう理由があるからです。今回はこういう状況なら、こっちの方法がいいと思います。それでいいですか」と譲らない。
相手から「そんな理由は分かってます。でも今回は先方にとってもこれの方がいいのでそれでお願いします。何でできないんですか」と返信が来た。

不穏な気配を感じつつも、何とか自力で解決してみてくれないかなと様子を見ていたのだけれど、またダダダダッとメールを打ち始めたので「Aさん、これ、メールで返すの?」と訊くと、「はい、説明します」と言う。
「あのね、これは説明っていうか、この人は怒ってるんだよ。気持ちの部分で怒っているんだから、説明を求めているわけじゃないよ。一本電話入れて話をしてみたら」と言ってみたのだが、「前、別の人にそう言われて電話したのにうまくいかなかったことがあるので、ぼくはメールの方がいいと思います。メールで説明します」と言い張る。
絶対相手は激怒するぞと思ったが、激怒されないと分からないのかもしれないと思って「そこまで言うなら」と任せた。
(この時点で相手から激怒メールが来たら私が謝って収拾する覚悟はしていた。正直いえばもうここで私が引き取ってしまった方が早かったし簡単だった。でも、気づいて欲しかった)

数時間後に送られたメールを見ると、「出来ない理由」について延々と(スクロールを繰り返さないと読めないぐらい)のメールが、先方のメールをコピペしながら展開されていた……。
非常に細かく、依頼者の言葉尻を抑えながら、理屈的な説明を行っている。

……「何でできないんですか」
これを、「理由を尋ねられている」と受け取ってしまったのだろう、と思った。
この文脈で「何で」というのが、質問ではなく怒りだということが分からないのだ。

予想通り、火に油となってしまった。激怒メールが届いた。

この段階で「Aさん、Aさんはこれに返信しないでいいから。私が先に話すから」と引き取り、先方に内線をかけ、「ご希望の内容がうまく理解できなかったみたいで、ご迷惑おかけしてすみません」と謝りながら話を始め、「この方法ともう1つの方法だと、Aさんが薦めたこの方法の方が簡単なので、お急ぎの場合にはすぐ対応できるということでお薦めしたんです。時間がかかって良いということでしたら、当初のご希望の形で対応できます」と説明すると、「先方とこういう形で書面を準備すると話をしてしまっているので、最初に希望した通りの形で作って欲しいです。少し時間がかかっても構いません」ということだったので、「わかりました。じゃあそれで用意しておきます。ご迷惑おかけしてすみませんでした」と言うと、「いえ、こちらこそ説明が不十分ですみませんでした」と事なきを得た。
そして電話を切る直前、「まるで私がこの書面を作ったことがないかみたいな、初心者向けみたいな説明をされるのでびっくりしました」とちょっとトーンが上がった。
どうやら、この人の怒りのポイントはここが大きかったらしい。
そう怒っている人に長文説明メールを送っても、そりゃ問題は解決しないよね。

電話を終えてから、「こう説明して謝ったら先方も了承して向こうからも『すみませんでした』って言ってくれたよ。こういうふうにちょっと話をしておけばスムーズに進むことがあるんだよ。私たちの仕事はあの仕事の書類を正確に作ることでしょ。もっと話を聞いて希望に寄り添ってあげないと」と言うと、「あんなメールを送られてもですか!」と言う。(←先方の激怒メールのことを言っているようだ)

「うん、あんなメールを送られても、だよ」と言い切ると納得のいかない顔をして黙った。
「あんなメールを送られても」というよりも、「あんなメールを送らせてしまった」自分の対応に問題があったのだとどうして思えないのだろう。

というわけで、電話が大の苦手で文章を文字通り理解したがり納得のいかないことに謝るなど大嫌いな私だが、Aさんのおかげで私のソーシャルスキルは上がっている気がする……。
Aさん、ありがとう(反語です)

しかしこのAさん、「私と同じニオイ」を感じているのは私の側だけで、彼は自分がコミュニケーションに問題があるとはつゆほども思っていない。前にもちょっと場がもめかけたときに「すみません、Aさんは部内で私と一、二を争うコミュニケーション下手なんです」と笑いながらフォローしたところ、Aさんは真顔で「ぼくはあゆみさんと違ってコミュニケーション苦手ではありません」と言い放った。
そういうところなんだってば。

そう思うのだけれど、私は自分のコミュニケーション下手を自覚してから、結構もんもんと悩んだり落ち込んだりしている。
Aさんのように「自分は正しい。相手が悪い」と思えたらその方が本人にとっては幸福な気もするので、果たしてAさんに自覚させるように努めるべきなのか迷いがある。


2017.10.27 Fri l 発達障害 l コメント (0) l top
発達障害も程度や状況により障害年金の対象となる。
私はクローズで就労している関係上、これを申請するつもりはないのだけれど(万が一勤務先に分かってしまった場合のマイナス効果の方が大きいと考えているため)、いざ働けなくなったら……と、なんとなく心の中のセーフティネットのように考えているところはある。
失業保険はもらったことがあるが期間が短いし、生活保護は持ち家では難しいと聞く。現実的なのは障害年金かなあ、と。
現実的なのかどうか、お医者さんに尋ねたことはないのだけれど。

ところでこの障害年金の判定にあたっては、次のような判定基準がある。
 日常生活能力の程度(5段階評価)
 (1) 精神障害を認めるが、社会生活は普通にできる
 (2) 精神障害を認め、家庭内での日常生活は普通にできるが、社会生活には援助が必要である
 (3) 精神障害を認め、家庭内での単純な日常生活はできるが、時に応じて援助が必要である
 (4) 精神障害を認め、日常生活における身のまわりのことも、多くの援助が必要である
 (5) 精神障害を認め、身のまわりのこともほとんどできないため、常時の介助が必要である

上から下にいくにしたがって、程度が重くなっているようだ。
そして(2)を見ると明らかだが、「日常生活は出来るが社会生活には援助が必要」という場合があり、この逆はない。つまり、日常生活と社会生活では社会生活の方が難しいという基準なのだろう。

だけど、私は逆だ。
私は会社でも浮いているところはあるようだし、転職歴も結構多いのだけれど、それでも長年会社員として自分でお給料を稼ぎ生活してきている。平日は遅刻もなくきちんと会社に行き、無断欠勤などもなく、するべき業務はこなしている。
だが、日常生活には困難を抱えている。
大きなものは食事、特に料理だ。本当に料理がしんどくてプレッシャーでストレスでたまらず、結婚していた短期間を除いては長年の一人暮らしはほぼ外食だ。もう、お湯を沸かすのどころか冷蔵庫を開けることすら苦痛だ。
食事も、それなりに健康には気をつけていないわけではないけれど、ストレスがたまると肉とアルコールばかりが欲しくなり、こうなるともうストップはきかない。せめてサラダをつけようと思ってもどうしても駄目だ。スナック菓子も食べ始めれば3袋ぐらい食べてしまうのは普通だ。
そしてアルコールの問題も時折表面化しかけていることは何度かこのブログでも書いた。
掃除も駄目で、ルンバを買おうかと思っていたのだが、ルンバでは水回りの掃除はしてくれない。最近は低料金の家事代行サービスが出て来ているので、家事代行サービスを頼もうかと半ば本気で検討している。
洗濯は洗濯機がしてくれるけれど、洗濯物を干したり畳んだりということは苦痛で仕方がない。
ベッドのシーツやカバーを替えるのも一大決心が必要で、これも可能な限りの効率的方法で対処している。
夏服と冬服の入れ替えとかとても出来ないし、クリーニングの管理もあまり出来ていない。
休日にはシャワーも浴びず、顔も洗わず、髪もとかさないなどということさえある。
PC、プリンター、スマホ、Wi-Fiなども難しくて分からないので、簡単なものという基準で選んでいる。
通販の段ボールが長らく開封もされずに転がっているなんていうのは普通のことだ。
郵便物をポストから回収したり封筒を開けたりするのも難しい。
髪は美容院で染めているけれど、それは自分で染めるなんて高度なことが到底できないからだ。
金銭管理もできなくて、記帳も出来ないし、日々どんぶり勘定で生活している。
……というと、「どんぶり勘定で生活できるんだから、いいんじゃないの(それだけ余裕があるんじゃないの)」と言われたりするのだけれど、余裕があるのならちゃんと生活設計できていれば貯金が出来るはずなのに、全然貯金につながらない。私は物欲がほとんどないので、お金遣いは荒くはないと思う。お金遣いが下手なのだ。そりゃ、毎日昼夜外食では……。

ここまでくると上述の基準でいえば(4)ぐらいに該当するのではないかと思うのだが……。

おそらく私は今仮に障害年金を申請しても通らないだろう。それは「社会生活は普通に出来る」に分類されてしまうであろうからだ。
でも、社会生活よりも日常生活の方がしんどい人もいると思うし、日常生活が普通に出来ない人の方がよりサポートの必要度は高いような気もするし、真面目な話障害年金のプラスアルファがあって家事代行サービスが頼めるならそれは私にとってとても大きな援助なのだけれど。
普通の人が節約といって考える、自炊や髪を自分で染めるなんていうことが「出来ない」のだから、よりお金が必要な障害だと私は思っているのだけれど。
分かってもらえないだろうなあ。
クローズの会社員で専門職で管理職。それで障害年金で家事代行サービスを頼みたい、外食は減らせませんなんて言ったら、普通「ふざけるな!」なんだろうなあ。
でもテレビやネットで見る「ゴミ屋敷の住人」は意外と外では普通の職業人であることも多いと聞く。社会生活よりも日常生活に困難を覚える人というのはそれなりにいるのではないだろうか。

社会生活の方が日常生活より難易度が高い、なんて誰が決めたんだ。困難を感じる場面は人それぞれだと思う。発達障害の症状は人それぞれなんて言うけれど、障害年金の区分を見る限りその「それぞれ」は反映されてないように思う。
2017.10.25 Wed l 発達障害 l コメント (0) l top
前回の記事では、定型発達の人から「発達障害のおかげで努力が身についたんだから良かった」と言われて、簡単に言うな!と思ったという話を書いた。
しかし、思い起こせば私も……。

私は何年か前に一度だけ、某掲示板で募集していた発達障碍者のオフ会に参加したことがある。
参加者は診断書を見せ合うことを参加条件にしていたので(他人の診断書を持ってくるというレアケースは完全に排除できるわけではないにしろ)おそらく参加者は全員診断済みの発達障碍者だった。

その中に、障害者手帳を取得して、パート勤務をしながら生活しているという人がいた。
生活保護ではなく自分の収入で暮らしているということだったが、ぎりぎりの生活のため、いろいろな免除やサポートがあるそうで、その中に「NHKの受信料が免除になる」という話があった。
私はNHKの受信料が免除という話は聞いたことがなかったので、びっくりして「えっ、NHKの受信料まで免除になるんですか! いいなあ、それは知りませんでした」と言ってしまった。
その人はそれに対して別に反論はしなかったけれど、考えてみればこれも失礼なことを言ったと思う。

受信料が免除の理由が障害者手帳だったか所得制限だったかは覚えていないが、あの人は「そういう免除と縁がなく生活できているあなたの方が恵まれている! 羨ましいのはこっちですよ」と内心思わなかっただろうか。

私は努力して社会生活を送っているけれど、努力だけで埋まらない何かを感じている。
人によっては「努力しているけれど、社会生活が送れない。努力だけでは埋まらない何かがある」という人もいるはずだ。
努力で社会生活が(それなりに)送れているというのは、一面においては恵まれていることなのだろう。

私自身も他人に対しての発言は気をつけないといけないな。
2017.10.22 Sun l 発達障害 l コメント (0) l top
定型発達の友人で私の発達障害を知っている人に、「あゆみは努力家だよね」と言われた。
それで、「まあ、子どもの頃から極限までの努力をしないと学校生活すらできなかったわけだからね。必要に迫られてだよ」と答えると、「でも発達障害のおかげで努力家になれて、その努力がいろいろなところに生きているんだから、良かったよね」と言われた。

違和感があった。というより、「そんな簡単に言わないでくれ!」と思った。

後になって、なぜそう感じたのかを考えたみた。確かに、努力が出来るというのは良いことなのだから。

だが、必死の努力をしないと普通の生活についていかれないという人が努力を迫られ努力をしつづけていることが「良かった」のか?
私は、努力せずに(あるいは普通の努力で)普通の生活や人付き合いが出来ている人の方が遥かに羨ましい。

たとえていうなら、お金持ちが貧乏な人に「貧乏なおかげで節約がうまくなって良かったね」と言うようなものではないだろうか。
こういわれた貧乏な人は「ほんとだ、節約がうまくなって良かった!」と思えるだろうか?
そりゃ、どうせ貧乏なら節約が下手なよりはうまい方がいい。というか、節約がうまくなかったら貧乏生活は生き抜けないだろう。そして貧乏だからといって生活が楽しめないとも限らない。個々のケースでいえば、貧乏でも生活を楽しんでいる人もいれば、お金持ちでも生活を楽しんでいない人もいるだろう。
でも、たいていの場合は貧乏でお金のストレスを感じ続けていたら、お金のストレスがない人に比べてしんどいと思う。そしてお金がなかったら出来ないことというのは現実に世の中には存在する。

発達障害もそんな感じではないかな。
私は確かに努力である程度までの社会生活を維持している。それなりに生活の中の楽しみや挑戦もある。
でも、定型発達だったら、どれほどのストレスから解放されるだろうと、想像も出来ないが羨ましい。
そして、どんなに努力しても、やはり定型発達に及ばない部分もあることを感じ続けている。
2017.10.21 Sat l 発達障害 l コメント (0) l top
友人たちと旅行に行ってきた。
私は一人旅も全然苦にしないが、気心の知れた友人とであれば一緒に旅行をするのも好きだ(長期間の二人旅とかは無理だが)。

旅館を出ようとして、目的地まで歩くには少し遠そうだねとタクシーを使うことにした。
友人Aが、旅館の人に「すみません、この辺タクシー拾えますか?」と尋ねると、旅館の人が「呼びましょうか」と聞いてくれたので、「じゃあお願いします」と呼んでもらった。

タクシーが来るのを待っていると、その友人Aが「こういう言い方すると旦那に嫌がられるんだよね」と言う。友人Bが「どういこと?」と尋ねると、「タクシーを呼んで欲しいならタクシーを呼んでくださいって言えばいいって。はっきり言えばいいのに、って言うんだよ」とのことだった。
友人Bは「えー、でもAちゃんの言い方の方が柔らかくていいじゃない?」と言っていたが、私はびっくりした。

そうか、拾えますかと尋ねられたらそういう意味に受け取るのか。だから旅館の人は呼んでくれたのか。

私も友人Aの旦那さんのように「依頼ならはっきり内容を言ってください」と思ってしまう。それでも友人Aの旦那さんは、それが婉曲表現だということは分かっているようなので、私よりはマシだ。

私だったら質問の形式で尋ねられたら質問だと思っちゃうよ。
私が旅館の人だったら「拾えますよ」あるいは「うーん、このあたりあまりタクシー通らないですね」で会話終了。悪気はなく、私としては尋ねられたことに答えたつもりだ。でもお客さんからすれば「うわ、感じ悪!」かもしれない。

友人AとBに「私はよく逆にもっと婉曲に言えって言われるんだけどね」と言うと、友人Aはにやにや、友人Bに至っては爆笑。
「ちょっとー、なんでここで爆笑する場面?」と言うと、「いや、一応分かってるんだな、と思って」と言われた。
「分かってるっていうかさ。まあ、Aちゃんと私を足して2で割るとちょうど良さそうだね」と言ってみた。
私は婉曲な物言いが出来なくて誤解されていることがあるようだが、婉曲な物言いが出来る人は出来る人で文句言われたりしてるんだなー。
2017.10.15 Sun l 発達障害 l コメント (0) l top
中学数学を教えてくれていた先生と最後の授業の際にお礼を言った。
最後、というのは中学数学の範囲が終わったから。次回から高校数学のクラスレッスンになる。

「自分が高校数学までやってみようなんて思えるようになるなんて、思ってもいませんでした。先生が丁寧に根気強く怒らないで教えてくださったおかげです。本当にありがとうございました」とお礼を言った。
ほんとにこの先生、私が説明を聞いてあれ?と不思議に思いポンポンと繰り出す質問に、1つ1つ丁寧に答えてくれた。
それで、「私の質問、ずいぶん的外れだったと思うんですけど、ちゃんと教えていただいたおかげで納得できました」と付け加えた。

そうするとこの先生は。
「いえいえ、数学に興味をもってもらえて私の方こそ嬉しいです。こちらこそありがとうございました」
ここまでは良い。常識的だ。
これに続けて。
「確かにあゆみさんの質問は的外れなものも多かったですけど」
えーっ!!! それ、そう言いますか!
「でも、鋭いものも多くて、聞いてる方も面白かったです」
えーっ!

生徒の側が「的外れですみません」と言ったところで、「そんなことないですよ」と言うのが「普通の」対応なんじゃないですかね?
先生、空気読もうよ!
と思った。
2017.10.12 Thu l 日常 l コメント (2) l top
以前、メンタルクリニックの先生に「うつ病ですね」と診断されたとき、私は「絶対違う」と思った。
絶対違うと思った根拠はいくつかあるのだが、その一つは「私は自分を責めるタイプではない」ということだ。
うつ病は、何か問題があったときに自分の責任だとか自分が悪いとか思う自責感の強いタイプの人に多いという。

私は、もちろん反省することもあるし、自分を責めることもあるけれど、自責型か他責型かどちらかに分類しろと言われたら、どちらかといえば他責型ではないかと思う。他人が悪い、と思うタイプだ。
でも、それは私が自己肯定感を持ってこられたことにつながっているのではないだろうか?

ありがちなシチュエーション。定型発達の上司や先輩と発達障害の部下や同僚。
(発達障害者=発、定型発達=定)

社員のAさんが発に業務の依頼をする。
発「あ、いいですよ。大丈夫です」
発が定型の上司に報告。
定「それは手続きがあるだろ。ちゃんと書類に書いてもらえ」
発「すみません」

翌日、社長Bさんが業務の依頼をする。
発「すみません、手続きがあるので書類にご記入いただけますか」
社長Bから上司に強いクレーム。定型の上司、怒る。
定「社長だろ!」
発「でも昨日、社内手続きを守らせるようにとおっしゃいました」
定「それは普通の社員の場合!」
発「そういう例外はおっしゃいませんでした。それでは部長はどうしたらいいでしょう。あと例えば顧問は手続きを守っていただくべきですか」
定「屁理屈こねるな! 常識で判断しろ!」
発「……(理解できない)」
定(素直じゃないやつめ。なんで申し訳ありません以後気を付けますと言えないんだ)

これは定型発達の上司から見たら最悪に感じの悪い使えない部下だ。言ったことの上げ足ばかりとり、常識的な判断が出来ず。自分の非を認めない。

だけど、発達障害者の側は大真面目に「分からない」
社長は例外なんて言わなかった。言われたルールを適用したら怒られた。常識と言われてもそれ何? 屁理屈って、質問してるつもりなんですが。
そして「申し訳ありません。以後気をつけます」と言ってみたところでどうせ分かってないのだから次は同じ間違いを繰り返してさらに怒られる。

こういう場合、発達障害者の立場としては「わけの分からないことで怒られて責められている」のだ。
これを自分のせいと思ってしまってはそれは落ち込む。うつにもなろうというものだ。
でも、社会は「常識」「空気を読む」を要求する。理解できないことを説明もせずに理解しろと言う。でも、出来ない。出来ないものは出来ない。努力してないとかではなく、努力しても出来ない。努力は大事だ。でも努力では埋まらない部分がある。

もう、いいんじゃないか。
これは、説明を十分してくれない上司が悪いのだ。質問に答えてくれない上司が不適切なのだ。明確化されていないルールが問題なのだ。
2017.10.11 Wed l 発達障害 l コメント (0) l top