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私は相当負けず嫌いだし、他人に弱みを見せるのが嫌いだ。
女の武器は涙? なんですか、それ。
欲しいものは涙じゃなくて実力で。それでだめなら潔く。

どうも私は泣くのを人に見られることが恥ずかしいというのを超えて怖い。
だから人前で泣くことは大人になってからまずなかった。
(一人で泣いたりトイレで泣いたことはある)

それが……。
メンタルクリニックにいくと、ほぼ漏れなく、たぶん9割ぐらいの確率で泣く。
カウンセリングに行くとカウンセリング時間の大半を泣いて過ごすことがある。
当然相手は泣いていないわけで、日常生活だったらありえない光景だ。つまり、なんか卒業式とか送別会とかみんなが泣いている状況で泣いているのならまだいいのだけれど(でも逆にそういうときは泣けないタイプなのだが)、あるいは友達と飲みにいってお互い酔っ払い状態ならまだありだと思うのだけれど、相手が素面でじっと自分を見ている状況で自分も素面であれだけ泣けるって……私の今までの人生での自己基準では絶対にありえないことなのだ。
それが、「今日は絶対泣かない」と決心して診察やカウンセリングに臨むのに、何故か泣ける。
ああ、また泣いてるよ、私……なんて頭のどこかで思う冷静な部分が残っていたりするのに、涙が止まらない。

それで、思った。
泣くことによるカタルシスはよく聞く。
つまり、泣くことは精神療法なのだ。
……だから、診察室やカウンセリングルームには催涙スプレーが撒いてあるに違いない。部屋の空調に催涙ミスト(?)が注入されているのだ。
私のせいではなく、私の心が弱いのではなく、催涙スプレーに対する反応なんだから、しょうがない。
あー、そういえば、お医者さんもカウンセラーもいつも眼鏡をかけている。あれは催涙スプレー対策なのだろう。

そんなことを思ってしまうぐらい、泣ける。

そう思っていたら、この前初めてメンタルクリニックに行ったという人から、「診察で泣いちゃいました」と聞いた。この人も普段人前で泣かなそうな人だ。
やはり、どこのメンタルクリニックでも診察室には催涙スプレーが撒き散らしてあるに違いない。
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2017.09.26 Tue l メンタルクリニック l コメント (0) l top
数学が苦手というだけではなく、数学の中にも凸凹があったということに気づいて、他にも苦手だと思っていたことの中に得意なことも少しぐらいはあるんじゃないかなと考えてみた。
子どもの頃、何より苦手だったのは体育。
図工や習字もダメだったのだけれど、体育は恐怖感すらあった。

本当に壊滅的にどれもダメだったのだが、なぜか跳び箱だけ最初から飛べた。
飛び方を習った覚えはない。飛んでいる映像(最初、テレビか何かで見た気がする?)を一度見たら、どうすれば飛べるのか分かったのだ。それで最初に飛んだときから飛べた。
小学校時代の6年間を通じて、体育で先生から「あゆみさんにお手本を見せてもらいましょう」と言われたのは、後にも先にも跳び箱だけだった。
なぜ、跳び箱だけ飛べたのか今でも不明。同じ系統と思えるようなマット運動や平均台は全くダメだった。
2017.09.25 Mon l 発達障害 l コメント (0) l top
発達障害のある人は能力の凸凹が大きいと言われる。

私は中学の頃から数学が苦手で、自分はきっと脳に数学細胞がないのだと思っていたぐらいだった。本当にただ事ではなく数学が分からない。そのままずっと大人になってしまったのだけれど、最近大人の数学を習い始め、プライベートレッスンを受けている。

中学数学をやっている。
最初、正の数/負の数だの、単項式に多項式だの、ねじれの位置だの、あーなんかやったねーみたいなことをふんふんと聞いていたのだけれど、二次方程式が出てきたとたん本当に何も分からなくなった。先生がどう言葉を尽くして説明してくれても分からない。
かろうじて、パターン化で解ける問題の一番単純なバージョンが解けるようになったところで先に進むことになったが、分かったわけではなくて手順を覚えただけなので、この手順を忘れたらまた解けなくなると思う。
そして図形に進んだ。すると先生が「幾何はずいぶんカンがいいですね」と言う。確かに中学時代も図形はあんまり苦労しなかったな。
そして先日、確率に進んだ。なんか急に簡単になったなと思いながらふと例題で気になった点を先生に質問すると、先生は「え?……じゃあ、一緒に考えてみましょう」と言って私の疑問を一緒に計算しながら解き明かしてくれた。
「あー、なるほど!」と私が感心すると、先生はちょっと沈黙してから「その質問、大学レベルです。あゆみさん、二次方程式は本当に苦手そうだったのに……。方程式も図形も確率も、難しさとしては同じ程度のはずなんですよね。多少の得意不得意はあっても、中学数学のレベルぐらいだと得意な人は大体どれも得意だし、苦手な人はどれも苦手なことが多いです。こんなに分野ごとに極端な差がある人は珍しいです」と言った。

発達障害の凸凹というのは、「国語が得意で数学が苦手」というようなおおざっぱなくくりだけではなく、その数学の中にすら「方程式は苦手だけれど確率は得意」というような細かい分野ごとの凸凹が(それも大きな差のある凸凹が)あるのかもしれない。

ところで、この先生に私はお決まりのセリフを言ったことがある。
「だって、数学なんて実生活で使わないですよね。何で勉強しないといけないのか、何の役に立つのか全く分かりません」と。
するとこの先生は、「それは知らないから使わないだけです。知っていれば数学は実生活でも使うんですよ」と答えた。
おお。そうなのか。なるほど。そうなのかもしれない。
そう思った。

でも、「じゃあフェルマーの定理って何か実生活に役に立ってるんですか?」って訊いてみたら、「うーん……フェルマーの定理はあまり実生活には関係ないかもしれないですね」と言っていたけれど。
2017.09.23 Sat l 発達障害 l コメント (0) l top
このブログを書き始めて2年半近く、本来ブログというのは公開されているので、今更「公開しようと思ったわけ」というのも変な話なのだけれど、この2年半なるべくアクセスが増えないように工夫していた私が今になって「日本ブログ村」への登録ということをしようと思った理由を書いてみたい。

3年前、学研の担当者と「どんな本を書きたいか」という話をしていたときのことだ。
「できるだけ、明るい本を書きたいです。もちろん苦労や困っていることや苦しいことはたくさんあるんですけど、困ってるんです苦しいんですという本ではなくて、困ってたり苦しんでたりすることはあるけれどそれなりに頑張ってるしちゃんと人生楽しんでますよって伝わるような」と私が言うと、編集者も大賛成してくれた。
それで、なるべくそういう方向で書いたつもりだ。
もちろん大変な部分もあるのは事実なのだけれど、それでも「会社員して自立していて、結婚もして、友達もいて、趣味も充実して、得意分野もある」というのもそれなりに事実だったから。

私はこの時の編集者が私にとても自由に書かせてくれたことに感謝している。ありがたい編集者と楽しんで仕事が出来たと思うし、満足のいく1冊になったと今でも思っている。
それに、私は商業出版というものに憧れがあった。自分の書いた文章が、学研という名の知れた出版社から出版してもらえて、それが書店にあったりアマゾンで買えたりする。これは嬉しい。

ただ、それでも、執筆を始めた当初から不自由さを感じなかったわけではない。私が書いた文章はほぼそのまま本になっているのだけれど、それでも「ほぼ」であって、削られた部分や修正された部分もある。それにやはり紙媒体、出版物というメディアを考えれば一度世に出てしまえば(少部数でも)完全に回収することは無理だから、うっかりしたことを書くわけにはいかないという緊張感もある。
それでもっと気楽な場としてブログを始めた。

最近、本もブログも両方読んでくれている人と会ったときのことだ。
「なんか私、あの本ではずいぶん頑張っているようなこと書きましたけど、あれの出版からほんの2年なのに……。通院やカウンセリング続けてても何か良くなるわけでもなくて、離婚もして、水泳も挫折したし、仕事も嫌になってて。なんか、こんなはずじゃなかったのにって思います」と言うと、その人からは「そうですか? 今の方があゆみさんらしい気がします」と返ってきた。
驚いた。

後になって驚いた理由を考えて、私はやはり自分の中に「普通であることが正しい。良いことだ」という価値観を持っていたのではないかと思った。だから普通でない私はできるだけ普通に近づいていなくてはならない。普通に近づける努力をして、普通に近くなればいいことだ、と考えているのだと。

でも、そうなのかな。確かに私は、結婚していた間しんどかった。離婚してみて、本当に自由になって楽になったと思った。
今はゴルフもダイビングもしていないし、趣味と言えるほどの趣味活動もなく、ヒマなときは本を読んで過ごしている。週末もだらだらと家にいることが多い。でも、それは悪いことじゃない。
自分のお給料で生活できていることだけはありがたいと思っているけれど、もしこの先転職したとしても、また仕事が長続きしない生活になってしまったとしても、それはそれでしょうがないんじゃないかな。

今でもちゃんと頑張って自分なりの楽しみも見つけて生きていこうとは思っている。
でも、それが「普通に近づくこと」でなくてもいいんじゃないかと思い始めた。
だから、「こんなに普通に近づいた発達障害のある私」の本を読んでくれた人に、「本当は普通のふりするのは大変だし、普通のふりしてるつもりでもやっぱり注意されること多いし、なんかもう自分が心地よい暮らしをしたい」と思っていることがバレてしまっても(!)いいかな、と気が変わった。
表面的に社会にそれなりに適応しているように見えても、やっぱりどうしても相容れない部分がある。
2017.09.16 Sat l 私の本に関すること💛 l コメント (0) l top
夏休み、ウラジオストクに行くことつもりだったのだけれど、行かれなかった。
なんとビザがおりなかったのだ。(ヨレヨレのTシャツを着た写真のせいではないと思いたい)
オンライン申し込みで4日後には発行されるということだったのに1週間経っても連絡がないので、調べてみると「見当たりません」の表示が出る。
ちなみに私は完了画面も登録番号もスマホで写真に残している(スクショが分からないだけなのだが)
だから絶対に私の間違いではない。こういう手続きは慣れてるし。

しょうがないのでロシア領事館を探して連絡すると「モスクワまだ朝の5時なので分かりません」と言われた。いや、モスクワに聞かないと分からないんですか?
そう思いながら、じゃあモスクワが開いたら調べてくださいというと「お名前教えてください」と言われた。名前を教えるとそれで切られそうになったので、申請番号とかいらないですかというとでは申請番号教えてくださいという。こりゃ絶対問い合わせる気ないだろう、と翌日直接領事館に行くことにした。

行ってみると意外なことにビザ担当の間でこの情報は共有されていたようで、名前を言うと「ああ。モスクワ尋ねましたが、システムの担当者が夏休みで分かりませんでした」

8月に運用開始したばかりのシステムの担当者が8月に夏休みかい!
というか、1人しかいないのか? それともそろって休んでるのか??

ナントカという書類とナントカという書類を集めてくればビザを窓口で発行するとは言われたが、そんな暇がないからオンラインで申し込んだのだ。この日領事館に行ったのだって、会社には迷惑をかけている。
窓口の担当が「今日夕方にもう一度モスクワ電話します。他にも同じこと言ってる人います」と言う。
あまりあてにせず、こりゃ旅行は無理だなと思いながら会社に行った。

驚いたことに、夜6時頃に電話はかかってきた。
「やはりシステムの担当お休みです。分かる人いません。私も試してみましたが分かりません」
そして、ロシア人とは思えない営業も口にした。
「これでロシアを嫌いにならないでください。ロシアとても素敵です。またぜひ来てください」

「また」も何も、今回行かせてくれないのはロシアなんですが!
ロシアを嫌いになるかは分かりませんが、ロシアのシステムと責任感のない仕事ぶりは大っ嫌いになりました!

ぷんぷんしながら、でも諦めるしかない。
格安の航空券を買っていたのでキャンセル不可。というか、キャンセル手数料を計算したら逆に追加で支払いが必要じゃないかと思ったぐらいだったがそれはなくてほっとした。
ホテルは30%のキャンセル料ということで、3泊3万円ぐらいのホテルだったので、2万円はもどってきたことになる。

その2万円で、近場の温泉に一泊旅行をしてきた。
会社の友達に「ウラジオストクのホテルから」とスマホで撮った写真を送ると「さすが日本に近いだけあって風景が日本みたいだね!看板も日本語だね!」と返信が来た。「そうなんだよ、案内とかも全部日本語だし、飛行機乗らないで良かったし、なんか電車で30分だったよ。ウラジオストク超便利」と返事をした。
会社へのお土産に温泉まんじゅうを買い、「ロシアのお菓子って、あんことか入ってるんですね~」と笑われた。

温泉は温泉で気持ち良かったけど……
でもそれならあの飛行機代を使えばもっと豪勢な温泉旅行が出来たのに。
2017.09.14 Thu l 日常 l コメント (0) l top