他山の石

人から不愉快な目に遭い、仕返しメールを書いた。相手が確実に傷つくであろうポイントをついた。
送る寸前にお昼休みが切れてしまったのでとりあえず一時保存した。

午後、仕事中に仲の良い同僚からメールが来た。
「見てよ、このメール! ひどいこと言われたんだけど、私が書いたこの返信どうかな?」
読んでみると、確かにその相手方はひどい。とても社会人が業務上やりとりがある人に書くとは思えない失礼な内容だ。

しかし、その同僚からの返信の下書きも結構激しかった。
その返信を読んだら、読んだ側は完全に心を閉ざすであろう書きぶりだった。

「気持ちはすごく分かる。でも、こうは送らない方がいいよ」

と言うと、同僚は、「そうだよね。分かってる。でも気持ちがおさまらなかったんだよ。でも、送らないことにする」と答えて、激しい部分を削除し書き換え、普通のトーンのメールに書き換えていた。

そうだよなあ。
他人のことだと冷静に判断出来るんだよね。
そして、そういうメールは送らない方が、その人自身のためにいいと思ったんだよね。

お昼休みに書いたメールは、送らないことにした。
きっと送っていたら、もっといやな気分になっていたと思う。
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凸凹

最近弁護士とやりとりが多いのだが、ある時私はごく普通に疑問に思ったことを尋ねたところ、「ずいぶん失礼なこと言うんですね!」と怒られた。

この前、ある書類の記載を求められて書いたところ、「すごい。これは本職の弁護士でもなかなか書けません。素晴らしいです」と絶賛された。
このとき、「これほどの文章が書ける人は、人口の数パーセントというレベルだと思いますよ」と言われ、「そうですか、ありがとうございます」と答えたが、内心は「素晴らしいって、上位数パーセントぐらいのことか。それなら入るだろう」と傲慢なことを思っていた。
私はある種の文書を書くのはたぶんとてもレベルが高いらしい。
そして、今の仕事はこの得意分野を十分に使えている。

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顔を覚える能力

手配犯の顔覚え街中から捜し出す 記憶と勘…「見当たり捜査」摘発4000人突破という記事という記事を読んだ。

すごい。すごすぎる。
指名手配中の犯罪者の顔写真を覚えて、雑踏の中で見かけると「こいつだ!」と分かってしまうそうだ。

私は相貌失認(人の顔が覚えられない)のため、こういう人の存在が信じられない。
私は実物の人ですらなかなか覚えられないのだが、さらに写真と実物はまず一致しない。親兄弟ですら写真になると怪しいし、写真でしか見たことがない人が3次元で動いていたら絶対に分からない。

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睡眠

何もしたくないので休日は寝て過ごすことが多い。
悲しいことを考えなくて済むように眠ってしまいたいというのもあるし、単に本当に動く気にならなくて眠ってしまうこともある。
ただ、そんな状態なのでたいていはつらい夢を見る。というか、つらい夢を見ればつらいし、幸せな夢を見れば目が覚めたときに一層つらいので、どんな夢を見ても結局はつらいのだ。
この前、めったにない幸せな夢を見ていた最中に、夢の中でそれが夢だと気づいてしまった。
必死になって目が覚めないように夢を抱きしめてしがみつくのだが、どんどん目が覚めてしまう。
あれはつらかった。

だから、寝て過ごしてしまいたいのだけれど、寝るのが怖い。
会社があるので平日前夜は睡眠薬で無理やり寝るのだけれど。

前記事で書いた、自分のお金で生活できるというのが私の精神状態にはかなりのプラスになっているという話とも関係するが、今私は会社に行っているおかげで朝起きて夜寝て食事を取って、という生活が出来ているのだと思う。
適応障害までおこした会社だが、こうなってみると会社員をしていて良かった、と思っている。

鬱とお金

所得が少ない人の方が鬱になりやすい、という記事を読んだことがある。
(鬱病ではなく、鬱状態)

ネットの記事だったし真偽のほどは不明だが、そりゃそうだろうなあと思う。

「お金で幸福は買えない」と言う。その通りだと思う。
でも、お金で買える保障とか安心感とか自由とかチャンスとか、そういうものがあるのも事実だ。
お金がない、やりたいことができない、缶コーヒー1本買うのも悩む生活はそれだけで強烈なストレスだ。

今、私がかなり鬱に近い精神状態でありながら、なんとかもっているのは、やはりお金を使えている、という面は大きいように思う。
通院やカウンセリングや薬、食事はすべて外食、トラブルには弁護士を頼み、そして今実は事情により住居費が大変なことになっているのだが、それでも自分の経済力で対応できている。
とはいえ、正直、今の生活は支出の方が収入よりかなり大きい。いつまでもこんな生活はできない。
そろそろきちんと生活を整えないと、残高が減る一方の生活というのはそれ自体がストレスになってしまうことは分かっている。
でも、今「節約」のプレッシャーを自分にかけたら、そっちの方がしんどいのではないかと思うと、つい楽な方に流れてしまう。

いろんなお薬

朝起きたら頭が痛かった。というより頭が痛くて目が覚めた。私はもともと頭痛持ちだし春先と真夏は特に多いので、これは通常のことだ。ロキソニンを飲んだ。
落ち着いて来て朝食を食べに行こうとして、不安感が強くてデパスを飲んだ。
ファミレスで朝食を食べていたが頭痛が収まらなかったので追加でロキソニンを飲んだ。
家に帰り、昨日は家でへたりこんで寝ているだけだったので今日は絶対に外に出ようと決心し、暑い中だったが近所のスパへ出かけた。
不安というより気分が落ちる感じだったので、久しぶりにパキシルを飲んでみた。
スパではひと風呂浴びて出てきて、湯上りにはビールでしょ。 つまみを2品とビールをジョッキで1杯飲んだ。
ごろごろしながら本を読んで、露天風呂や岩盤浴をして、気持ちよくリラックスした時間のはずなのに、気分は落ち込むばかりだ。
追加でデパスを飲みながらアルコールをオーダーし、夕食にとカレーを食べた。気持ち悪くなって胃薬を飲んだ。
帰り道で歩きながら我慢できずにまたデパスを飲んだ。
夜はサイレースとデパスで寝る。

薬と酒と。こんな生活がいいわけがない。

この前メンタルクリニックの先生に「私は自●とかするタイプではないですし、しないと思います。ただ、生きていく意味がないような気がします」と言ったら、「まあもう少し、状況が落ち着いてからそれは考えましょう」と言われた。
「はい」と答えたんだけど、考えたらどうにかする方法があるのだろうか。
お薬が増えるのだろうか。

あれほど抵抗のあったお薬だけれど、楽になるならお薬が欲しいな。
私が今落ち込んでいるのは人として正常な反応(落ち込むような出来事があった)だと思うので、それをお薬で解決するのはなんか良くない気もする。つらいときになんでもお薬ではなくて、やっぱり頑張ったり耐えたりも必要なのではないかと。
でも、お薬で楽になれるなら、なりたい。

薬への抵抗感

この2ヶ月ほど、本当につらい日々が続いている。
仕事には行っているし、食事はとれてるし、睡眠薬を使ってはいるが眠れている。日常生活は出来ている。友達づきあいはほとんどしていないが、会社で雑談でもすれば笑いもするし、歓送迎会などのやむをえないものであれば飲み会に出席もしている。事情を知る親は気にして毎日のように連絡をしてきて、正直これはかえってつらいのだが、これ以上心配かけないようにそれなりに返事はしている。
だから、本当に参ってしまっている、というレベルではないはずだ。

だが薬が手放せなくなった。
いくつかの精神安定剤を試してきたが、結局つらさや不安やもやもやがこみ上げてきたときにはデパスが一番良い。
デパスは家には大量に置いてあるし、会社の引き出し、バッグ、ポーチ、その日着る服のポケットには必ず入れている。
デパスは眠くなってしまうので日中は使いたくなかったのだが、今はそんなことを言っていられない。
処方も上限いっぱいまで出してもらっている。私は普段こういうお薬には過敏なので少な目の処方なのだが、つまり上限いっぱいということは私にとっては多い量なのだけれど、ないと不安だ。

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メールの感想

最近、ひどい目にあった。
第三者のプライバシーにも関係するので具体的には書けないのだが、あまりにもひどいので、弁護士に相談している。

この相手から、メールが届いた。
一応、「申し訳ありません」とはあるのだが、あまりにも自分勝手な言い分に腹を立てながら、弁護士に見せた。
弁護士は「うーん……まあ、一応謝ってきているだけでもマシだと考えましょう。あゆみさんへの非難を書き連ねてくることも出来たわけですから」と言った。

この前、カウンセリングの際にカウンセラーに見せた。
カウンセラーは「すごい人ですね。なんというか、相当変わった人ですね。言葉づかいもひっかかるし、しかも自分に酔っちゃって・・・・・・」と言う。
「全然、謝る気持ちなんて伝わってこないですよね?」と確認すると「伝わってきませんね」との返事だった。

こーゆー時に限って行間を読んでしまうのも困ったもんだ。
「申し訳ないって書いてあるんだから、申し訳ないって思ってるんだろう」って思えたらいいのに!

人は何歳まで変われるか

部内に「ちょっと困った人」がいる。
どんなふうかというと、過去記事はこちら。
このAさんには、直属の上長と、私ともう一人も一種の上長で、つまり普段の業務で接することのある上長が3人いる。
3人とも、「発達障害」という障害があることを知っている。
部下のこととはいえ、そうそう軽々しく言えることではなかったが、話す機会があり、「そうなのだろう」と私たち3人の中では意識共有が出来た。

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バランス

子どものころから、私の中には自己肯定感と劣等感が共存している。
プラスとマイナスで打ち消しあってゼロになってくれていたら良かったかもしれないけれど、そうはならない。

自己肯定感があることは有り難いと思う。家族や周囲の人に大事にされ、愛され、受け入れてもらったからだろう。
それでも、常に劣等感もついて回っていた。
ほかの子が出来ることが自分には出来ない。ほかの子が面白いことが自分には面白くない。
ついていかれない。まわりと違う。浮いてしまう。自分だけ分からない。

長年、自己肯定感と劣等感は、私の中で微妙なバランスだった。どちらかに傾きかけては反対側に戻る。

3年前、発達障害と診断を受け、その後継続的に診察を受けている。
精神科というと基本的にはお薬の処方がメインになると思うのだが、処方の前にはちゃんと私の状況を確認して、アドバイスもくれるいい先生だ。
カウンセリングも2年になるだろうか。私の困っていることをうまく聞きだしてくれ、ズレたことを言っても否定しない。「正しい」答えに連れていってくれようとするし、それが出来なくても、とりあえずの処世術を教えてくれる。とても感謝している。

だが、この3年、私の自己肯定感は強まらず、劣等感ばかりが膨れ上がる。
適切なアドバイスを受け、正しい対応を教えてもらうたびに、そういうことを教えてもらわないと分からない自分が嫌になる。
教えてもらってすらピンとこないときにはせっかく教えてもらっているのにすみませんと申し訳なくなる。
どんなに頑張って注意して生活していても、周囲から浮いていることを思い知らされる。
良くなった、改善した、と思うことが結局は「当人比」に過ぎず、普通の基準から見たら人並みの範疇ではないことを実感する悔しさ。
気をつけているのに、問題ないと判断した事柄がほかの人にとっては不適切だったと知らされ、自分の判断力を疑う。
自分の言動が普通から外れていないかと、誰かを不快にさせていないかと、びくびくする。

治療を受けて、カウンセリングを受けて、常に自分の至らなさを思い知ることにどんなメリットがあるのだろう。
所詮、治りはしない障害だ。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。
子供の頃から対人関係が苦手、就職後も職を転々。40代に入り上司のパワハラに参ってしまったのをきっかけに精神科の門を叩き、発達障害と適応障害を診断されました。
もはや40代、会社勤めも一応は出来てる、今更発達障害と言われても……と思いつつ、この先の人生が少しでも楽に過ごせるように日々苦戦しながらいろいろ考えてます。

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