挨拶の苦手な子ども

私は挨拶の苦手な子どもだった。
大人になって長年経過したが、今でも実は苦手だ。
もちろん社会人、それも会社員として長年過ごしているので、挨拶をしないわけではない。
でもおそらくたいていの人が無意識に出来ているようなことに、タイミングやセリフを考えながら神経を張り巡らしている。

当然、子どもの頃に得意だったはずもない。
さかのぼっていえば幼児期からそうだった。
お客さんが来たときなどに母に「あゆみちゃん、ご挨拶は?」と言われてもコンニチハの言えない子だった。「何て言うんだっけ?」と催促されてもダメ。「こんにちは、は?」とはっきり教えられても言えなかった。どう言っていいのか分からなかった。
不思議なことに「ありがとう」に苦労した覚えはない。言葉にも特に遅れはなかったようだ。でも、挨拶が出来なかった。

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オキシトシンの効果

オキシトシンの効果について、メンタルクリニックの先生が研究者の先生と知り合いだということで、感触みたいなものを訊いてくれる、と言っていた。
ブログに書いていい話かは分からないので、その「感触」みたいなものと先生の「感想」については書かない。

ただ、差しさわりがなさそうなことでいえば、「すぐに『固くてとがった感じ』が柔らかくなる人はいるので、本人というより周りにとって楽になる場合がある」らしい。
私についていえば、「あゆみさんにはわざわざ試すほどの価値はないんじゃないかな」とのことだった。

「あゆみさんの場合はそれほど固くてとがってるという部分は強くないから」と言われたので、「それほど、ですか?」とちょっと不満気に尋ね返した。
すると、先生は「まあ私は診察の中でいろいろな人と話しますからね。その中で言えば、あゆみさんはそれほどではないですよ」と付けくわえたのだが、この補足って全然フォローになってないよね。むしろ追い打ち。
私の「不満気な様子」は十分伝わったと思うのだが(かなり露骨に不満をにじませた)、こういうときに「空気を読んで相手の気持ちを考える定型発達者」は相手の気持ちに沿ったセリフを返すものじゃないの?
先生、ツメタイよ。

しかし、柔らかくなる(具体的にはわからないが)という効果がありそうで、かつ私にその特性が多少なりともあるのであればダメ元というオプションもあると思うのだが……。
そういう方向に話が進まないということは、やはりダメ元というのにはリスクが大きい(副作用など)があるのだろうか。

本の登場人物

私の本の中に登場するメンタルクリニックの先生に「この本の中の医師が先生のことだということは人に話されたことがありますか」と聞いたときには「絶対言いません」と言われた。
カウンセラーに「このカウンセラーというのがカウンセラーさんのことだということはどなたかにおっしゃったことがありますか」と聞いたときにも「言いませんよ」と言われた。
お医者さんのこともカウンセラーさんのことも、別に悪く書いてないはずなんだけどなあ。なんで嫌なんだろう。

本の中に「チエコさん」として登場する友人は、「親しい友達には私のことだって言ったけど、基本的には内緒」と言う。
何で?と思って聞いてみると、「だってタバコの話が書いてあるんだもん。タバコ吸うこと秘密にしてるから」という理由だった。
なるほど。そんな理由もあるのか。

会社で覚えられない人

何度か「人の顔が覚えられない」という相貌失認の話を書いてきているが、私が今働いているフロアは、人も少なく入れ替わりもほとんどない。
そのおかげで、大体の人は見分けがついている。
(10年で2,30人を覚えた感じ)

いまだに区別がつかないのは、今年の1月に入ってきた男性と、この4月に入ってきた女性だ。
でもこれは男女一人ずつなので、「見分けのつかない男性はこの人」「見分けのつかない女性はこの人」という覚え方でなんとかなっている。

今日、見分けられない女性がいたのでその4月に入ってきた女性だと思っていたのだが、普段と違う仕事をしているのでどうしたのあかなーと思っていたら、先月から来ている派遣さんだったことが判明した。
そうだった。今は見分けられない女性が2人いるんだった。うっかり「見分けられない女性はこの人のはず」なんて思ってしまうと危険危険。

普通に近づく努力の価値

私は子どもの頃から変わっていると言われ続けて、今でも面白い人と言われている(これが「変わっている」の婉曲表現であることは分かっている)

それでも、子どもの頃の変わっている度がマイナス10ぐらいだったとすれば、今はマイナス3ぐらいなのではないだろうか。
今の方が「普通」の人に近い言動をとっていると思う。

子どもの頃から変わっているとかおかしいとか直しなさいと言われて一生懸命修正してきた。
理解できなくても丸暗記でも間違っていても、何とか「これが普通らしい」「普通に見えなくては」と思いながら自分を矯正してきた。

そのおかげで今のそれなりに会社員として勤められている生活があるのだと思えば、努力の甲斐があったとも言えるのかもしれないが。
でも、普通に近づくために費やしたエネルギーを振り返るとき、「普通であることを求められずに、あれほどの労力を他のことに遣えていれば私の人生はもっと豊かだったのではないか」と考えることがある。

まあその方が良かったのかはわからないのだが。

耳で覚える能力

人の顔を覚えるのが苦手なだけではなく、車の種類や花の種類もわからないし、ブランドも見分けられない。
視覚情報全般に弱いのだと思う。

しかし、半面というかその弱点を補うために発達したと考えれば当然かとも思うのだが、聞いたことは忘れない。
ツアーのスケジュールのように一方的に話されるものも覚えているし、特に人と交わした会話というのはよく覚えているようだ。
「ようだ」と言うのは、自分ではそれが当然なのだと思っていたのだが、他人から「よくそんなこと覚えているね」と言われることが多い。

まあ強みがあるのはいいことなのだが……。

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研究会参加の最大の課題

ある業界団体の研究会に参加することにした。
こういうものは苦手なのだが、ピンポイントで興味のある分野だったのだ。

全体で50人ほどの研究会で、私が参加するグループのメンバーは8人だ。
ここで最大の「こういうものは苦手」の原因である、「人の顔が覚えられない」が問題になる。
とりあえず最初の1回は座席表があり、座席表の通りに着席だったのでそれは良い。しかし次回からはたぶん適当になる。

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食べ物の好き嫌い

発達障害のある人には感覚過敏がある人が多いと聞く。

私は母に言わせると子どもの頃ひどく偏食だったそうだ。
私の子どもの頃というのは「出せれたものは残さず食べる」というのはしつけの基本の基本のようなもので、今のように子どもの個性を尊重して…などということはなかったし、アレルギーもそれほど知られた問題ではなかった。しかも学校給食は残してはいけないもので、残すと掃除の時間になっても教室に残されて一人格闘する、というような羽目になるのがお約束だった。
そういう時代と環境だったせいか、私自身は子どもの頃偏食だったという覚えはない。出されたものはとりあえず残さず食べていた、と思っている。しかし小学校4年生の通知表の所見には「偏食」と書かれているので、どうやらそうだったらしい。

それでも大人になって一通りのものは食べられるようになった。
好き嫌いはあるが、給食同様「残さない」というレベルであれば一応は食べられる。
しかし、口に入れるのも嫌だと思うほど嫌いな食材が2つだけある。

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朝食の会話

平日の朝は会社に行く途中の、いつも決まったお店でモーニングセットを食べている。
店員さんにも覚えられているので「いつものですか」「はい」で会話が済み、とても楽だ。
そして最小限の会話だけれども、裏メニューをサービスしてくれたり、私のコーヒーの好みを覚えてくれたりしているので、雑に扱われている感じは全くない。
ただ、朝の時間帯は一人でやっているらしいこともあり、雑談するような時間はないのだろうと思っていた。そしてこれは私にとっては居心地が良い。雑談は苦手だ。

この前、私の前にオーダーをした人がやはり常連さんだった。
すると、なんとお店の人はこの人と家族の話までしていた。
「おお、雑談もするんだ」と思っていたのだが、その後観察していると、どうやらむしろちょっとした雑談を交わすのはふつうのようで、他の人たちとも天気の話や仕事の話をしている。

「雑談をしない人」なのではなくて、「雑談嫌いなお客さんを見分けることができる人」だったらしい。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

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