死後に思いを馳せて思いとどまる

最近、自分が死んだあとのことを考えることが多い。
この1,2年急激な人生の変遷を経たせいもあるだろうけれど、年齢的にもそうかもしれない。同年代の友人の話を聞いてもやはり20代や30代の頃と環境も状況も変わっている。身近な人の生死の問題を抱えている人もいる。

今後、再婚するつもりはない。子どもを持つこともないだろう。

そうするとわずかとはいえ残る財産を、死後の始末をつけた後、どうするか。
親に先立たない限りは兄弟または甥姪が相続することになるが、それよりもどこかに寄付したい。
でも自分が死ぬタイミングが分からないので、適切な寄付先をいつどう決めたらいいのか分からない。
3.11 のときもそうだったが、赤●字やユニ●フやYaho●のような大手では、結局必要なところに必要な形で回っているのかが見えない。直接誰かの役にたつような形で残したい。
これについては今後考えようと思っているのだけれど。

とりあえず、万一の際には臓器提供をしようと思っている。
もともとは献体をしようと思っていたのだkれど、登録方法を調べようとしたら最近は献体はむしろ余り気味(という表現も失礼だが)という話を目にした。
どうせなら需要が多い方が役にたちそうな気がするので、臓器提供にしようと思った。
ただそのタイミングを、脳死時にするか、心肺停止時にするか、迷っている。
役に立つ臓器が多いという意味では脳死にするべきなのだろうが、脳死と診断されてから回復する例もあるなどと聞くとやっぱり迷う(脳死から回復することはないそうだが、脳死という診断自体が間違っていることはごく稀にあるらしい)

しかしこの臓器提供を考えたことには、思わぬメリットがあった。
この数年、軽いうつ状態になると時々電車に飛び込みたくなることがある。
先日、久しぶりにそれがあった。
特にうつ状態と言うわけではなく、自分ではそれなりに普通に生活していると思っていたので突然のあの衝動に自分でも驚いたぐらいだったのだが(説明が難しいのだけれど、電車に飛び込みたいなどと考えている脇で、そんな自分を冷静に観察している自分もいる)

そのとき、「轢死じゃ臓器提供しようにも提供する臓器が残らないな」と思った。
寄付先も決めてない、と思った。
それで思いとどまった。

なんか、バカみたいな理由というか、筋が通ってないと思う。もっと気にするべきことは他にあるだろうと。
でも、思いとどまれて良かった。

不思議なことに、私がそういう衝動にかられるのは、なぜか電車に限られている。
ガスやロープをイメージしてしまえば一人暮らしでは防ぎようもないと思うのだが、電車(ホームや踏切)に限られているため、そういう危ない感じなときには電車を使わない、電車が入ってくる瞬間にはホームにいない(階段途中で待機するなど)の対策を取っている。

来週、引っ越す。
引っ越し先は職場から徒歩圏というのにはちょっと無理があるけれど、なんとか歩ける範囲だ。
通勤に電車を使わなくてよくなるということに、ほっとしている。
自転車を買うつもりにしていて、普段の移動は自転車を使うことにしようと思っている。
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アンガーマネジメントは必要か

今、怒っている。
そんな話をすると、「もう忘れた方がいいよ」「ネガティブなことに精神力使うのは良くない」「自分が疲れちゃうよ」「前に進もう」と言われる。

この前、久しぶりに会う友人と話をしたときのことだ。
彼女が、彼女自身とてもショッキングな経験をしたときに感じたのは悲しさとか絶望感とか心配とかではなく、怒りだったのだという。
「怒ったおかげで、あの時期を乗り越えられたんです」と言っていた。

怒りはエネルギーだ。
確かにネガティブなエネルギーかもしれないけれど、エネルギーが枯渇してしまっているよりは、エネルギーがあるだけいいんじゃないか。
怒りをエネルギーに生活ができているなら、それでもいいんじゃないか。

「普通の」人生

前の記事に書いたような話を友達にした。
もっと普通の(家庭的な)人生を歩んでいれば良かったと。

するとその友人は、「あゆみはそういう人生には満足できないよ。飽きちゃうよ。自分で何でもやりたい人だし。ダンナに尽くすとかできないでしょ」と言う。
言われてみれば、そんな気もする。
それで、訂正した。

「普通の生活を歩んでいて、かつ、そういう普通の生活を幸せだと感じる人間だったら良かった」と。

するとその友人はこう言った。「そんなの、すでにあゆみじゃないよ」

そうか。それもそう言われてみればそうだ。そんな自分は想像がつかない。
今自分が持っているもので勝負するしかない。今の自分で人生生きていくしかない。

でも、うらやましい。
隣の芝生は青いだけなのだろうか。

別の人生

久しぶりの海外出張は順調に目的を達成し、いい気分で現地を発った。
訪問先から国際空港へタクシーで向かい、慣れた手順でチェックインをし、お土産を購入し、荷物を預ける。

私は自分が自分の狭い適性に合った仕事ができていることをラッキーだと思っている。
離婚したところで相手からのお金に頼らず、自力で生活していける経済力を持っていることをラッキーだと思っている。
こういう海外出張を自分でしっかりとこなせる力をもっていることをラッキーだと思っている。

だが、空港で駐在ファミリーらしい家族連れが目についた。
ビジネスマンらしいお父さん、それにお母さんと2人の子ども。

うらやましい、と思った。
こういう人生が歩めたら、そしてそういう人生を幸せだと感じられたら、どれほど良かっただろうと思った。

子宮体がんの検査結果

先月から不正出血が止まらなくなり、なんとなくマズイんじゃないかと怖くなって一応検査に行っていた。
まあ、ストレス多かったから、ストレスで自律神経がくるっているのだろうとは思ってはいたのだが。
それでもやはりまずは体の異常がないことを確かめないといけないので、子宮体がんの検査をし、お薬を飲んでいた。

結果を聞きにいってきた。
20人ぐらいのお医者さんがいるクリニックで、診察室も入った診察室番号が16番だったので、20人のお医者さんはほぼ常勤だろうか。婦人科専門クリニックとしてはそこそこの規模だと思う。
そして診察室に入ると、お医者さんの机の上に名札が置いてある。
そこに「副院長」と書いてあった。

・・・・・・。
嫌な予感がした。なぜ、突然副院長? 前回は普通のお医者さんだった・・・・・・
やっぱりアレか、重大な結果を言うには、院長とか副院長とかから言い渡すものなのか。

そうびびっていると、先生は検査結果を取り出し「はい、これ検査結果ですね。異常はなかったです。良かったですね」
良かった~、脅かさないでくださいよ、先生。
(勝手にびびってたんですが)

「何も治療しなくていいですか」と聞くと、「だって異常ないんですから、治療のしようがないでしょ。まあご年齢的に、不調が生じやすくなってきます。また何か異常があったら来てください。ご年齢的に多少不規則になっていくぐらいは普通のことですからね」
ご年齢的に、ご年齢的に、って何か癇に障るな!
微妙なお年頃なんだぞ。

でも異常がなくて良かった。というか、やっぱりストレスって体に出るんだなあ。

お医者さんに「私頭痛もちで、片頭痛のお薬が切れちゃったんですけど、ついでに処方していただけますか」と聞くと、先生は苦笑しながら「しょうがないなあ。それやりだすと収集つかなくなっちゃうから、本当は駄目なんですよ。今日はサービスしときますけど」と言いながら片頭痛のお薬を処方してくれた。
へー、そうなのか。メンタルクリニックの先生は何のお薬でも、それこそ目薬まで出してくれるので、お医者さんてそういうものだと思っていたのが、いろいろ方針があるのかもしれない。
「どのお薬が欲しいんですか」ときかれ、「ゾーミッグお願いします」と言うと、先生は「ゾーミッグ……処方したことない。えーと、どんなお薬だろう」とつぶやきながら手元のお薬辞典を見て確認して、処方してくれた。
正直だし、分からないことを調べるのは正しい。でも、飲み慣れたお薬でなかったら、こんなんことされたらちょっと不安だな。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。
子供の頃から対人関係が苦手、就職後も職を転々。40代に入り上司のパワハラに参ってしまったのをきっかけに精神科の門を叩き、発達障害と適応障害を診断されました。
もはや40代、会社勤めも一応は出来てる、今更発達障害と言われても……と思いつつ、この先の人生が少しでも楽に過ごせるように日々苦戦しながらいろいろ考えてます。

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