カウンセリングのトピック

この前カウンセリングに行ったときは、母との付き合い方について尋ねた。
私の母はなんというか、過干渉なのだ。
「心配だから」と私のためモードのときもあれば「ほかにメールしてくれる人いないし」(←そんなことはない!)と寂しさ前面モードのこともあるのだが、とにかく何のかんのと、私が何をしても何をしなくても「もっとああすれば」「それはこうしないと」「そんなのだめよ」と絶対に満足してくれない。
例えば、朝早く出勤しているときに「朝ご飯食べてるの」と聞かれ、「時間なくて。食べたり食べなかったりだね」と言えば「朝ごはんしっかり食べないとダメよ」と言う。ここで「大人の場合は、食べるのがいいという説と食べなくてもいいという説があるんだよ」などと言っても絶対に自分の価値観は変えない。次に聞かれたときに「うん、会社の近くまで行ってから食べてる」というと「朝から外食なんてダメよ」と言う。自宅で食べる時間が出来て「家で食べてるよ」と言っても「何を食べてるの」と聞かれ「パンとコーヒーぐらいだけど」と言うと、バランスが悪いと言う。「あ、フルーツは大体食べてる」と言えば今度は「フルーツは果糖が多いから気をつけなさい」

ああ。苦しい。こうやって一つぐらい書くと「どこの家でも」とか「母親なんてそんなもの」と言われそうだが、親しい友人たちには「あゆみの家の過干渉さはすごいよね……」と言われるので、やはりそうなんだと思う。とにかく一事が万事この調子だ。
スルーしようにも、メールに2日ぐらい返信しないと「心配するので返事ぐらいください」と催促がかかる。

カウンセラーに言うと「そういう人、意外と多いんですよ」と言った。そうらしい。こういう系統の本は最近多い。
「母に悪気がないのはわかるんです。今更母は変わらないでしょうから、受け流す方法を知りたいんです」と言ったのだけど、なかなか妙案が出てこない。
でも、「つい、悪いかなって思うので反応しちゃうんです」と言うと「優しいですね」と言われて意外だった。

うまく伝わるかわからないのだが、私は「母が望む方向に応えない」ことを自分が優しくないとは思っても、母が望む方向に応えようとすることを自分が優しいことだと思ったことがなかった。

優しくなくてもいいのかなあ。
そう思う反面、もう70も後半の母に、優しくしたいという思いもある。

カウンセリングは具体的な解決策をくれないことが多い。
「よくあることなんですよねえ」なんて言われているうちに事態が急展開し、カウンセリングどころではなくなることもある。離婚のときがそうだった。カウンセラーに「元夫がこうこうで、私としてはストレスがたまって、どうしたらいいんでしょう」なんて言っている間にあれよあれよと別居→離婚のスピード展開だった。
(どんなカウンセリングを受けるより、離婚して自由になった方がすっきりしたので、変にカウンセラーで我慢する方法を教わるより良かったのかもしれないが)
なので、カウンセリングは即役に立つとか実践的ではない部分もあるのだけれど。
(もちろん即役に立つ実践的な方法論を教えてもらうこともある)

でも、カウンセリングに行くとほっとする。
もう3年もほぼ毎月話をしている臨床心理士だが、私は彼女のプライベートを何一つ知らない。何一つ尋ねない。
一方的に愚痴って相談してアドバイスをもらって、時に泣いて、そういう一方通行の関係に罪悪感を持たなくて良い。
とても気が楽になる。
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カウンセラーのアンガーマネジメント

最近、イライラしているみたいでつまらないことをカッとしてしまうことが多い、という相談をカウンセリングでしてきた。
もともと私は短気なところがあり、アンガーマネジメントはそれなりに試みている。でも、今はダメなのだ。
そう言うとカウンセラーにどんなアンガーマネジメントをしているか尋ねられたので、「一般的なことです。一呼吸おく、その場を離れる、飲み物を買いにいく、怒りを数値化してみる……これぐらいはやっているんですけど、うまくできません」と言った。
するとカウンセラーは「出来ることはやっているんですね。困りましたね」と言ってから、唐突に「フランクルの『夜と霧』って呼んだことあります?」と聞いてきた。
「もちろんあります」と答えると、「あれ、読んでみたらどうですか。あれを読むと、つまらないことで怒っているのがばかばかしくなります」と言う。
(「夜と霧」はアウシュビッツでホロコーストを生き延びたユダヤ人精神科医の回想録)

そ、そりゃまあ、そうかもしれないけど、それは極端というか・・・

「うーん、なんというか、それ。そうですね、私が今貧困に苦しんでいて生活保護でぎりぎりの生活をしていて、明日食べるものも心配というような生活をしているという相談をしたら、『ナイジェリアやルアンダの難民キャンプの人たちのことを思えば、今日食べるものがあるだけでもありがたい、明日のことを悩むなんて贅沢って思えるでしょ』と言われているのと同じような感じじゃないでしょうか。ちょっと極端ですし、現実味がありません」と言った。
(このカウンセラーとのつきあいは長く、言いたいことを言わせてもらっている)

意外なことに、これはそのカウンセラーの実体験なのだそうだ。
自分がすごくイライラして些細なことに怒りっぽくなっていた時期に、夜と霧を読み、「どんな環境でも人の心は自由だ」という文章に心打たれ、自分のいらつきがおさまったのだとか。

カウンセラーがそう言うと、なんか説得力がある。
それで、「じゃあ読んでみようかという気になりました……。でもあれ、重いんですよね」と言うと、「そうなんですよね。私も薦めながら言うのもなんですけど、今のあゆみさんに薦める本じゃないな、と……」と優柔不断なことを言う。
「そうですねえ。まあ、読めそうだったら読んでみます」ということにした。

この夜と霧の作者は自分は生き延びたが、奥さんをアウシュビッツで亡くしている。
「きっと、あの冷静な『夜と霧』では書けない思いはたくさんあったでしょうね」と私が言うと、カウンセラーは「そうですね。それでも、その中でフランクルが残したい、と思った内容があの本なんですよね」と言った。
うまく表現できないが、ああ、きっとそうなんだな、と思った。

あと、カウンセラーは「言葉で怒る前に、メールに書くとか、他の方法で発散することを考えるといいですよ」と言った。
おお、なるほど。と内心思った。「内心」と言うのは、「じゃあこのブログに書こうと思ったからだ(ブログを書いていることはカウンセラーには言っていない)。
当分、ここをアンガーマネジメントの場にさせてもらおう。

それから、もっと単純な方法として「深呼吸がいいですよ」と教えてもらった。ふむふむ。

それにしても、ストレスで怒りっぽくなっているという人にフランクルの夜と霧を薦めるより、普通は深呼吸を先に薦めると思うのだが。
それだけに、きっと自分も怒りっぽかった時期に夜と霧を読んだという話は本当なのだろうなと思った。

しねばいいという気持ちを持つこと

ある身近な人に言われたことにとても腹が立ち悲しくも悔しくもあり、その人のことを「しねばいい」と思った。
本人がしんでもいい。家族がしんで苦しむのでもいい。
他人に対してこんなことを、しかも煮えたぎるような憎悪の念と共に思ったのは、初めてのことだった。

その相手がしねばいいという気持ちは気持ちとして、ただ自分がそんなことを考えてしまってとらわれてしまうのをなんとかしたくて、カウンセリングで話をした。
だが、カウンセラーは「こういう状況でそう思ってしまうのは仕方がない部分もあります。世の中の多くの人は、たとえカウンセリングでもそこまで正直に言葉にはしないかもしれませんが、でもそう思ってしまうことは決して珍しいことではない、と思いますよ」と言うだけで、どうしたらいいのかについては「ごめんなさい、思いつきません」とのことだった。

数日後、女3人で飲みに行く機会があった。

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カウンセリング状況の変更

私が通っているカウンセリングルームは、少なくない人数の臨床心理士が所属している。系列機関もいくつかあるようで、特に意識はしなくてもなんとなく安心感があった。

だが、11月一杯で撤退してしまうことになった。
これを聞いたのは6月ぐらいで、人生最悪の経験をしていたときだった。
聞いた瞬間、ほぼパニックになった。

結果的には、カウンセラーが引き続き個人でカウンセリングを続けてくれることになった。
それでひとまずはほっとしたのだが。

しかし、個人相手ということになると、いつ関係が終わってしまうか不安だ。
私がもうカウンセリングなしでやっていける、と私の側から終了するのであればそれはそれでめでたい話だが、カウンセラーの側から断られてしまうのが不安だ。

こういう感覚が嫌で、人に依存したくないのだ。
カウンセラーに「依存は嫌だから早くカウンセリングもやめないといけないと思っている」と話をしたときには、「依存ではなくて利用と考えてみればどうですか」なんて言われてその気になったことがあったが、「なくなると思うと不安」というのは依存ではないのか。

臨床心理士なんて、星の数ほどいる。
でも、自分に合うカウンセラーに巡り合うのはとても難しい。
そして信頼関係を築くのにも時間がかかる。
代替性がないのだ。
正直、このカウンセラーにカウンセリングを断られたら、次を探す気にはなれないだろう。
それだけに不安は増す。

11月にもう一度カウンセリングの予約は取っている。
今後の不安を払拭してもらえるといいのだが……。

こう言ってもらえればそうかと思う

処方箋を間違えられて怒ったという話を友達にした。
彼女は「まー、そりゃ怒るよね」とは言ったが、「でも結果的に正しい処方になったんだし、先生にクレームメール入れるほどのことじゃないかも」と笑う。
やっぱり怒りすぎたか。
友達は、「まあ今後も通院するなら次回の診察のときにでも一応謝っておいたら」と言う。
精神科医がいちいち患者の言動を気にするとは思わないが、次回診察時には一応謝った方がいいのか。
でも、「そもそも先生が処方箋を間違えたのが原因じゃん」と思ってしまう。

会社員をしていれば、そりゃ表面的に謝ることはある。
しかし私は「相手が原因を作った」と思っているときに、自分の側から謝るのが苦手だ。
子どものころからそうだ。
ただ、相手から謝ってくれれれば、次は自分の番、と謝れる。
また自分が原因を作ってしまったと思っているときは自分から謝れる。
ぎりぎり、「相手も悪いけど同時に私にも悪いところがあったな」と思えるときにも謝れる。
つまり自分から謝るには原因を作った時系列としてはせいぜい「同時に」までで、これが「相手が悪い」→「私が悪い」の場合は「相手が謝る」→「私が謝る」であるべきだと思う。

そして今回は。

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プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。
子供の頃から対人関係が苦手、就職後も職を転々。40代に入り上司のパワハラに参ってしまったのをきっかけに精神科の門を叩き、発達障害と適応障害を診断されました。
もはや40代、会社勤めも一応は出来てる、今更発達障害と言われても……と思いつつ、この先の人生が少しでも楽に過ごせるように日々苦戦しながらいろいろ考えてます。

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