先生心配。いえ、患者がもっと心配です。

いつものメンタルクリニックで出してもらった処方箋を持ってクリニック近くの行きつけの処方薬局に行った。

出てきたお薬が違う。
「あのう、錠剤じゃなくて液剤でお願いしているんですけど」と言うと、薬剤師さんがクリニックに電話してくれて液剤に変更してくれた。つまり処方箋が間違っていた。

で、出てきたお薬がやたら多い。
いつも1日一回なのに三回の処方箋になってる!
本当にすみませんと言いながらもう一度薬剤師さんから確認してもらうと、足りなかったら適当に調節して飲めるように多めにだしたということだったので、もういいやと思ってそのまま受け取った。でも調節用に3倍って明らかに変でしょ。絶対本当は間違えたんだと思う。

この先生、よく間違えるのだ。

薬剤師さんにこそっと、私この先生によく間違えられるんですけど、私だけでしょうか?と聞いてみると、薬剤師さんはこそこそっと、いえ多いんです。毎回同じお薬の人でも間違えられたりします、と・・・。

先生、そうは言っても向精神薬です。
しかも知的障害とか自分でお薬の判断のつかない患者もいるわけです。
みんながみんな、私みたいにきっぱりはっきり言えるわけではありません。
もうちょっと注意して処方して下さい。

まあ、お医者さんとはいえ任せっぱなしではいけない、何事も自己責任と考える機会をもらったと思っておくか。

スポンサーサイト

仕事で評価されてもなんか違う

あ、しまった。
お医者さんの「年収2千万円」のインパクトが強すぎて、前記事では本題を書き忘れてしまった。

診察の際に、「仕事で評価されたりお給料が上がったりすれば自尊心は満たされるところがあるけれど、もともと仕事がやりたかったわけではないので、仕事で評価されても何か違うと思ってしまいます。有体に言えば、仕事しかできない自分てみじめだと思います。もっと普通になりたかった。普通に結婚して普通に子育てして、仕事はしても普通で良くて、普通の人生を送りたかったです。普通というのが羨ましくてたまりません」という話をしたのだ。

すると先生は、え?という感じで、「あれ? あなたは最初に受診した頃、そんな感じだったかなぁ。もっと仕事にやりがいを感じていたような印象があったけど」と言う。

私こそ「え?」だよ。
最初に受診した頃は、未経験で適性もない仕事で上司に虐め抜かれて適応障害起こしていた頃でしょ。
仕事にやりがいもへったくれもありませんでしたよ。
それに私の「普通になりたい」病は子どもの頃からなので。数年前も同じように思ってたはずです。
この先生、驚くほどの記憶力の良さを持っていることも多いのだけれど、こういう根本で勘違いしてちゃ困るよ。
そう言った(もうちょっと丁寧にだけど)

続けて先生は「まあ、普通というのが何かなんて分かりませんけどね。それに普通の人がみんな幸せというわけでもないですよ」とごく常識的なことを言った。
「それは分かってます。頭では理解しています。でも、普通に見える人達が羨ましくてたまりません。みんな私より幸せに見えます」と言った。
「そう見えちゃうことは、ありますよね」というのが先生の答えだった。
そう見えちゃうんだよ。理屈で分かってるとかそういうことではなだめられないんだよ。

こういう気持ちとかみじめさとか劣等感とかは、お薬でなんとかなるものじゃないんだよなあ。
そして別に仕事が出来たからといって解消もしないんだよねえ。
このままずっと抱えていくしかないのだろう。

年収2千万の世界

いつものメンタルクリニックに行った際に、会社の話をしてみた。
以前、ある程度の所得までは年収と幸福度は比例するというリサーチ結果を読んだことがあり、今は転職して猛烈に忙しいけれども、お給料が上がるとストレスが減るのは確かだという話をした。仕事帰りにご飯を食べに入ったお店で会計を気にせずメニューを選べるとか、(元)部下とご飯に行ってご馳走してあげても負担に感じずに済むとか、急ぐ移動の際に駅に走って電車ではなくタクシーに乗れるとか、ちょっとしたことなのだけれどお金のストレスがないというのはありがたい。
「だから、ストレスが減ることを幸福度と言うなら、お金で幸福度は上がると言えるようにも思います」と言った。

「でも、月並みですけど、お金で幸福が買えるわけじゃないですよね」
と続けた。
当然なんだけれどね。
「なので、この先多少お給料が上がったとしても、それで幸せを感じられるとはとても思えないんです」と。

すると先生の答えは。
「まあ、年収が2000万ぐらいのラインを超えてくるとまた見えてくる世界が違ってきますよ。税金も増えるけどね」

うわ、先生。
それ、会社員はまず超えませんから。それ、「多少上がった」ぐらいでは無理ですから。
簡単に言うなー。開業医には軽いラインなんだろうな。
税金も増えるけどね、にリアリティがありました……。

医療の限界と怪我の功名

前回受診した際に(「しんどいときには運動を」と実現不可能なことを言われた診察のとき)、なんかこのあたりが医療の限界なのかなぁと思った。
前回はちょっとそんなとんちんかんなことも言っていたけれど、普段とてもいい先生だし、うつ状態だったときはお薬が役に立ったのも事実だ。今も社会生活が出来ているのは睡眠薬の存在によるところも大きい。だから、役に立っているとは思う。

でもまあ、精神科って、自分の人生の問題を解決してくれるわけではない。

それで帰宅してから、ウツウツとしながら考えた。
「こんなにしんどい人生我慢するぐらいなら、いっそしんじゃった方が楽だな」と。

しかしうつうつとしても合理的な私(?)は考えた。
どうせしんじゃうなら、その前にやりたいことはやっておこう、と。

で、そう考えてみると、しぬぐらいならやりたいこと、というのはあるものだ。
具体的には書けないけれど、正気なら絶対やらないし、周りには止められそうだけど、しぬぐらいなら全然大したことじゃない、というようjなことだ。
まあ、例えばホストクラブに通い詰めるとか?(←これではないけど、でもこれも思いついたアイデアの一つではあった)

そして手をつけてみたら、なんかエネルギー湧いてきてしまった。
いやー、「しぬぐらいなら」って、思ってみるもんだね(オススメはしませんが)

言われてみればごもっとも

前記事では役に立たないことを言うとこきおろした先生だけど、もっともなことも言う。

「もう嫌になっちゃって、会社辞めて世界放浪の旅に出ようかなんて空想にふけることがあります」という話をしたときのことだ。
先生「放浪って、どこかしたことあるんですか?」
私「嫌になっちゃってというわけじゃないですけど、転職の合間にメキシコ放浪したことがあります」
先生「それは危なさそうですね。危険な地域も行ったんですか」
私「はい。メキシコ人にメキシコ人でも女性が一人旅をするような地域じゃないと言われたようなところです」
遺跡を見にいったのだけれど、ジャングルの中とかメキシコでも最も貧しい地域とかだったのだ。
先生「そうですか。無事でよかったですね」
私「はい。治安もそうですけど、メキシコは医療レベルが低くて外科的な処置になるとすぐ手足を切断されてしまうと聞いたので、一生懸命『手(足)を切らないでください』『日本に運んでください』というフレーズをスペイン語で覚えていきました」
これは確か地球の歩〇方に書いてあったのだ。
それでいざという時に備えてそのフレーズを行きの飛行機の中で暗記しておいた。

すると先生はあっさりと。
「まあ暗記してても、意識なかったら意味ないですけどね」

か、考えたこともなかった。
先生、おっしゃる通りです。
鋭いことも言うんだよなー。


ところで話は変わるけれど、私のブログのメンタルクリニックネタが多い時期は調子が悪い時期なのかなと思う。
仕事には行っているし生活もしているけれど、うつうつとしているときはブログを書くネタも減る。反面通院回数は増える。
なので必然的にメンタルクリニックネタの割合が増える気がする。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
最新コメント
広告


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 成人発達障害へ
にほんブログ村
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR