禍福はあざなえる縄のごとし

適応障害を起こしたときの上司に対しては、社内異動で降格という形ではあってもその上司の元から逃げてからその後退職するまでの数年間、廊下ですれ違おうがエレベーターに乗り合わせようが、雑談どころか挨拶すらしたことがなかった。
役職でいえば当然私の方が下なのだけれど、何人かとすれ違ったときにほかの人たちには挨拶しながらその元上司にだけ挨拶せずに通りすぎたこともある。
(ただ、私の「元上司にだけ」挨拶しないのも失礼だとは思うが、この元上司は「自分より下の役職の人には誰にも」挨拶しない、という主義だったので、ま、どっちもどっちかな)

ただ、その後の人生もいろいろあった。
そういう苦しい時期に私を支えて助けてくれた人というのはたくさんいて、心から感謝している。本当に助けてもらった(し、今でも助けてもらっている)
だが、やはり親や友人には「心配をかけたくない」「一緒に悲しませたら悪い」という気持ちが働いてしまう部分もある。

そう考えると、人生の一番苦しい時期に先立って、信頼できる精神科医と臨床心理士に出会い信頼関係を築けていたことは、とても大きな価値があった。この苦しい時期に「申し訳ない」というブレーキをかける必要なく苦しいと訴えられる先を持っていたことは本当にありがたいと思っている。
そしてそれが出来ていたのは、その前に適応障害を起こしていたからだな。

そう思うと、あの時人生最悪の経験と思っていた状況が、本当に最悪になったときにはプラスの要素として働いたのだから、人生って何がどうなるのか分からないな、と思う。

元上司よ、パワハラして追い詰めてくれてありがとう。
……とはさすがに思えないが。
(それが思えたら悟りの境地か)
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ごめんで済んだら警察いらない

子どもの頃、「ごめんで済んだら警察いらない」と言われたことがある(言ったこともある)。
最近、久しぶりにこれを思い出した。

私が前職を退職すると決め、退職届けも受理された後のことだ。ある本部長から「あゆみさん、ちょっと時間いい?」と近くの会議室に呼び出された。
「あゆみさん、退職するんだって?」
「はい、〇日が最終出勤日です」
「そうか……。残念だよ。最近見ていてとても一生懸命楽しそうに仕事をしてくれていると思っていたから」
「私も残念ですが、お給料が安すぎて、将来が不安です」
実際にはお給料だけが理由ではないけれど、これが大きな要因だったのは確かだ。
するとこの人はこう言った。
「あの時はごめん。本当にごめん。ぼくもあまり事情はよく分かってなくて、上に言われたことをそのままあゆみさんに伝えてしまって。申し訳なかったと思ってる」

「あの時」という漠然とした言い方ではあったが、この人からこう謝られるには心当たりはもちろんある。
この人は、私が当時の上司のパワハラで適応障害を起こした頃、人事本部長をしていた。
適応障害でもう休職寸前になり、最終的に一般職の閑職への異動という形になったとき、それを私に通知したのがこの人だ。
この時、私のお給料は一気に4割近く減っている。
今考えれば、こんな減給は違法だったのではないかと思うが、当時の私は弱り切っていたのでそれどころではなかった。
あまりにボロボロ過ぎて、転職も考えられなかった。
受けるしかなかった。

今回の転職で私はお給料が上がるが、上がるというのはこの安くなった前職でのお給料に対してであって、本来の給料レベルで考えればトントンぐらいのラインだ。40代の女性会社員が転職で大幅に給料が上がるというのはそうそうない。これはつまり高くなったというより、前職が安すぎたのだ。
正直、転職活動中に先方から「何で(今のお給料が)そんなに安いんですか?」と尋ねられるという面接は珍しいと思う。

謝って済むとでも思っているのか、と思った。
分かってなかったことをそのまま伝えたなんて、それが本部長という立場、人事という部門のトップが社員に対してすることなのか、と思った。

「ごめんで済んだら労基署いりませんね」と言いかけた。(←人事相手なので、恐れるのは警察より労基署)
いやいや、ここは私の大人の社交術。
そう思いなおして、「いえ、もう済んだことですから。その際はこちらこそお手数おかけしました」と言ってにっこり(こわばっていたかもしれないけれど)してみた。
相手はホッとしたようだった。

馬鹿野郎。

でも、謝ってきただけマシかな。
そのパワハラ上司本人は何も言ってこなかったから。
でもそのパワハラ上司、ある役員の引き立てで権勢をふるっていたのだが、その役員は今年退職した。役員の後任には嫌われている。権限も縮小されてきている。
今に失脚するだろう。
退職してしまうことによって、その失脚が見られないことだけは残念だ。

プライベートで適応障害?

食事は採っている。おいしいわけではないけれど、量は食べていてむしろ過食気味だ。
夜も寝られている。サイレース(睡眠薬)に頼っているとはいえ、とにかく寝てはいる。
会社にも行っていて、仕事もしっかりしている。

しかし、楽しくない。
日々の生活が楽しいと感じられない。嬉しいとも思わない。何かしたいとも思わない。興味もわかない。行動力ゼロ。

会社での生活は成り立っているのだ。人と雑談もすれば冗談に笑いもする。
社外の方がダメだ。とにかく、もう何もしたくない。
健康を考えない食事をして、夜や休日はアルコールを飲んで、そして寝ていたい。話もしたくないし、友達と飲みに行きたくもない。
そして気分が落ち込む。沈む。何もかもいやだ。時々、「何で生きているんだろう」と思う。
普通なら何でもないことにイラつくことも多い。

・・・・・・この感じ、なんか覚えがあるなあ。
と思ったら、昔会社の上司のパワハラに合い、適応障害を起こした時の感覚に似ている。
もしや、私はプライベートに適応障害なの???

適応障害は人生経験か

お薬を減らしたり止めたりすると調子を崩すことはあるが、そもそも服薬を始めた当時のような適応障害からは完全に回復したと思っている。
もともと意地の悪い上司との人間関係と経験のない仕事が原因だった。
今は自分の専門分野に戻り、それを生かしてくれる上司の下で働けている。
もちろん自分の適応能力が低いのであれば、今後の社会人人生においてまた上司や仕事に恵まれない可能性がないとはいえず怖い気はするが、今の時点では大丈夫だと思っている。

そう回復して思うのは、適応障害で私は人に少し優しくなったかもしれない、ということだ。
今までは「自分をコントロールするのもストレス対策も自分の責任のうち」と思い、無意識に他人にもそう思っていた。
自分でコントロールの及ばない事態を経験して、初めて「人がうまくいかないときは、単にその人の努力不足でない場合もある」と実感できたように思う。

・・・と、あの痛かった経験をなんとかポジティブにプラスに考えたい。

でも、当時の上司(1人は退職したがもう一人は健在)を社内で見ると怒りがこみ上げる。
異動以来、いまだに挨拶の一言も交わしたことがない。交わそうとも思わない。そして私にはかなり珍しいのだが、その人がほかの人に悪く言われていたりすると嬉しいし、失敗すればいいと思う。疲れている様子を見れば、正直「ざまあみろ」と思ってしまう。

別に、許したいとか仲良くしたいとか思うわけではない。そう出来た方が楽だろうとは思うが。
ただ、私はあまり人によくも悪くもこういう感情を持たない・引きずらない方だと思っていたので、自分にこれほどの負のエネルギーがあるということが意外だ。

うつの8割に薬は無意味

タイトルの本を読んでみた。
現役の精神科医が本名で書いている本で、自身のうつ病治療に対する見解が述べられている。
データや出典や論証の正否は素人の私には分からないが、書いていること自体は「なるほど」と思われるものだった。

非常に簡単に私なりの解釈で言ってしまえば、この著者が言っているのは「本来うつ病ではなkったような、普通の健康な人が悩んでいる状態までうつ病と診断されるようになってしまい、うつ病の概念が広がりすぎてしまった。しかし健康な人の悩みが抗うつ薬で解決できるはずがない。でも薬が効かない、良くならないといえば薬が増える一方で薬漬けということになってしまう」ということと、「そういう本来のうつ病でない人が行うべきは抗うつ薬の服用ではなくて、生活習慣(特に睡眠習慣)の改善である。日夜のリズムが出来れば改善する」ということだ。

うんうん。なるほど。そうだね。ありゃー、そりゃこわい。
と思いながら読んだ。

しかし、自分のケースには当てはまらなかったなあとも思う。


うつの8割に薬は無意味 (朝日新書)

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プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

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