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使えない部下(願わくば最終回)

使えない部下が連日残業をしているのだけれど、あまりの仕事の出来なさぶりにろくな仕事はさせていない。一体何の仕事をしているのか?
というわけで、日報を出してもらうようにした。
「帰りにこのフォーマットで日報出してね」と言って「分かりました」

1日目。フォーマットと全く関係ない自己流日報が送られてきた。翌日訂正。
2日目。提出がなかった。翌朝催促すると、またフォーマットと関係ないものが送られてきた。きちんと指示したメールを読み直して送るようにと言うと、半日ほどして指示したフォーマットで出てきた。
3日目。フォーマットには沿っているけれど雑な日報の提出。
4日目。提出がなかった。
それで「その日の帰りに提出してくださいって言ったよね。どうして提出しなかったの?」と尋ねると、なんとその部下……。

「さあー。どうしてでしょう。ぷぷぷ」

「……あのね、どうしてでしょうって、理由が分からないとどう改善していくって考えられないと思うんだけど、どういうふうに改善していこうとか考えてないの?」

「ふふっ、ふふふ(頷く)」

「考えてない?」

「ふふ(にやにやとうなずく)」

……こりゃ、駄目だ。

もう一事が万事この調子で、会社での当然の業務指示も日常も成り立たない。
隣部門からも嫌われ、話しかけると露骨に嫌な顔をされている。
メールを出した相手からは聞えよがしにため息をつかれる。
一応私の下にいるので私を立てて表立っては言われないが、そのたびに謝る私もストレスがたまる。

もう、無理。

そう思って、退職勧奨を考えたのだけれど、出来たら社内異動でどこか引き取ってくれないかなーと考えた。
幸い、その部下は語学が得意だ。語学力を求めている部門がある。
ということで、そこに頼んでみた。

「あー、なるほど。いいよ、バイリンガル欲しかったんです」ということで、受け入れてもらえることになった。

最後に面談をして「部下さんは語学は強いし、今の部門よりも合ってるかもしれない。せっかくのチャンスだから頑張ってね」と言った。
部下、「そうですね。あゆみさんと相性も悪かったですし」

……心底疲れた。
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小児科の先生との思い出

私は小さいころにひきつけを起こして呼吸停止になってから小児科を定期的に受診して脳波を取っていた。たぶん中学生頃まで。食後に白い粉薬を服用していたことは覚えている。
母は「何かお薬処方されてたわよねー」とアバウトだが、父が言うにはてんかんを疑われていたようだ。

保育園時代から中学校まで、同じ小児科の先生にかかっていた。
私からすると何か月かに1回、母に「明日、病院の日よ。早く帰っていらっしゃい」と言われて学校から急いで帰り、母と病院に行って、でも「はい、深呼吸してねー」と言われて寝てしまって、起きると検査が終わっているという状況で、あまり覚えていない。
結果を見ての診察があったはずなのだけれど、寝ぼけていたのかほとんど記憶にのこっていない。

ただ、一つ、鮮烈に覚えている出来事がある。

小学校の高学年の頃だったと思う。ちょうど受診の数日前に高木彬光の「白昼の死角」という小説を読んだ。
コンゲームというのか、詐欺師が主人公の話だ。
夢中になって読んだ私は、小説の面白さにすっかりとはまり、診察のときに先生に「あなたは将来何になりたいの?」と尋ねられて、「詐欺師!」と答えた。そして、小説で得たばかりの知識、つまり詐欺師がいかに効率がいい犯罪で真面目に働くことがどれほど馬鹿らしいことなのかというようなことを意気揚々と語った。

数日後、先生からハガキが来た。
そのハガキには、真面目に働くことの大切さ、犯罪を志すなどと考えないで欲しいこと、が丁寧に真剣につづられていた。
これ以外、その先生からハガキなどもらった覚えはない。おそらくこの時先生はわざわざハガキを書いてくれたのだと思う。

その時には、ぴんと来なかった。なんとなく恥ずかしいような感じだけがあった。
でも、あのハガキは、その後の私の人生の中で大きな意味を持っていたと思う。真面目に働くことの大切さを正面から照れることなく考えるようになったきっかけの一つだと思う。

この先生のことを思い出すとき、子どもに真剣に接することがその子の将来に大きな影響を与えることがあるのだ、と思える。
私は子どもも持たず、人生に何も残さないかもしれない。
でも、私もいつか、誰かの将来に役に立つことが出来たら、話せたら良いな、と思う。
(そんな立派なことが言えるようになるように、まずは自分を磨かなきゃね!)

もう苗字しか覚えていないこの先生。たぶん母より年上だったと思うし、もうご存命かも分からない。二度と会うことはないだろうし、先生にとっても私はただの一患者に過ぎず、覚えているはずもない。
だけど今日、会社からの帰り道に突然しみじみとこの先生とのこの出来事を思い出した。

先生、ありがとうございます。
おかげさまであの後私は詐欺師を目指すなどと言わず、それなりに真面目に生きてきました。

甘酒の数字の今と昔

出先で小腹が空いたなー喉も乾いたかも、でもご飯食べるには時間が半端なのよね……と思っていたら、甘酒を見つけた。
地元産らしく、限定ものが好きな私はこういうものに惹かれる。

しかし私は一応ダイエット中。
ペットボトル(350ml)を手にしてカロリー表示を確認してみると、100mlあたり90kcalだった。ということは、1本飲み切ると300kcal超えか。ダイエット中の身には結構大きい。
ここは誘惑に勝って、夜のビールをお代わりできるようにカロリーの余裕を残しておいた方がいいんじゃないか。そう思いながらも、やはり地元の甘酒という誘惑には抗い難い(私は甘酒が大好き)。
迷いに迷い、夜のビールはお代わりなしと決心して、レジに向かった。

「お会計391円でございます」と言われて、少し驚いた。この小さいペットボトルの甘酒、結構いいお値段するのねー。
でも、そのまま購入した。

買ってから思った。
20年前だったら、私があの甘酒買うかどうか悩む理由は、値段の方だっただろうな。正直、甘酒に391円は払えなかったかもしれない。でも反面、カロリー表示なんて気にもしなかっただろう。
今は幸い、甘酒ぐらいのことであれば値段を気にせずに買うことが出来る。だけどカロリー表示に非常に悩む。
20年経って、甘酒を買うときに悩む対象は変わったけれど……。
今の方が良いのかどうかはどうも分からない。

両方がいいな。
甘酒買えるぐらいの経済力は維持しつつ、甘酒のカロリーぐらい気にしないで良いスリムで代謝の良い体が欲しい!

少数派の悲哀

最近、大人の発達障害が取り上げられることが多くなり、ネットのニュースなどでも関連記事を見かけることが増えた。コメントがついている場合にはコメントを読むことがある。

そういうとき、仕事に関するもので多いものに「発達障害者は迷惑。努力しているならまだしも、自覚もなくて周囲が疲れる」という類のものがある。
あるいは、結婚生活であれば「アスペの旦那(妻)最悪。相手の気持ち考えない。疲れて鬱になる」というもの。
親子であれば「うちの母毒親。あれは発達障害に違いない」というもの。

すみません。迷惑ですか。努力しているつもりですが足りなかったですね。頑張ります。周囲に合わせるように頑張ります。本当にすみません。
いわば、こう思うことが多かった。

だけど、本当にそう?
そもそもこういう記事のコメントに書いている人の言う「周囲の発達障害者」はただのその人の思い込みであることが多い。本人が診断済みかどうかなんて知らない。ただ、その人にとって「変な人/合わない人」を発達障害と勝手に言っているだけじゃないか。相手を理解できないと発達障害というレッテルを貼ってるだけじゃないか。定型に変な人はいないというのか。努力しない人はいないと言うのか。定型は人に迷惑をかけないのか。自分が理解できないからってそれが発達障害ってどういう根拠なんだ。

それに、努力しろって何様? 定型って、そんなに偉いの? 定型は発達障害者に合わせるために努力してる? なんでこっちばっかりそっちに合わせることを当然のように要求するの? 
そもそも定型だって努力してない人なんてたくさんいるでしょ? どうして発達障害者の側だけが努力してないと救いようがないみたいに言われないといけないの?

定型は、発達障害者が気に入らなければつまはじきにすることが出来る。「あいつ変だよね」と言って自分たちの輪に入れず、つきあわないことが出来る。
でも発達障害者にはそれが出来ない。周囲は定型ばかり。合わせるしかない。こっちの方がわけのわからない定型とかいうのに囲まれて逃げ場もなくてよっぽどストレスでよっぽど鬱になるよ。

「みんな違ってみんないい」なんて、嘘っぱちだ。
違っている人は、標準的な人に合わせなくては「いい」なんてみなされない。
あわせられなかったら、駄目な奴だ。

時々、無自覚に多数派の論理に胡坐をかく定型発達者が憎くてたまらなくなる。

「自立支援医療受給者証(精神通院)」が届いた

自立支援の正式な受給者証が届いた。帰宅したらポストに入っていた。
申請時に「1,2ヶ月」と言われていて、1ヶ月ちょっとで来たので、予定通りだろう。
申請時の受付用紙で自立支援は使え始めていたし、絶対大丈夫と言われていたのだけれど、やはりそれでも実際に届いてほっとした。ありがたいことです。税金からのサポート、大事に使わせていただきます。

という感謝の気持ちは気持ちとして。
うーん、利用する人のこと、考えてないなーと思った点がある。

まず、サイズ。
所持品を増やしたくない私は出来ればこれはお財布に入れておきたかったのだけれど、とんでもなかった。保険証サイズを期待していたのだけれど、保険証の倍の二つ折、つまり保険証の4倍サイズでしかも少し厚手の紙なので、とてもお財布には入れられない。しかも同時に「自己負担上限額管理表」というものも冊子で送られてきていて、どうやってもお財布になんか入れられない。上限管理表は絶対に上限に届かない私には不要ではないかと思うのだけれど、自立支援を利用するときには必須らしい。
手帳も保険証サイズと比べると二回りぐらい大きくてやはりお財布には入らず、不便だなと思っていたのだけれど、この受給者証は更に不便だ。
もちろん大してかさばるものではないから受診の日にはきちんと持っていけばいいのだけれど、そういうことが出来たら日々の生活で苦労していない……そういう「きちんとした対応」ができない障害なんだけどなあ。
というより、お財布に入るサイズだったら便利というのは多くの人が思うことだと思うのだけれど。

それから、この受給者証には「月額自己負担上限額」が印字されている。上限を管理するという趣旨から必要なことは分かる。だけどこれって、この金額で年収の推定がつくのよね。
お医者さんは……まあしょうがないとしても、受付の人とか薬局の人とかに自分の年収(推定)を明らかにして回らないといけないのか。でも「お医者さんは(年収まで分かってしまっても)まあしょうがない」って思うって、やっぱり精神科って特殊な科だ。

さらに言うと、この「自立支援」ていう名称は何とかならないんだろうか。自立していない人が支援されるみたいなんだけど。私、十分自立してると思うんだけど。これは自立を支援するわけじゃなくて、医療費の補助に過ぎないじゃないですか。どうして「医療費補助利用者証」とかじゃいけないんだろう。
精神通院する人なんて自立してないっていうことなんですかね。
継続的な医療サポートが必要だということなら、糖尿病だって同じだと思うのだけれど。

だけどなあ。一度使ってしまうと、やっぱり大きいんだよね。このサポート。
だから、気に入らないなら使わなければいい、別にこれの利用は義務じゃない、と分かってはいても、こういうことを飲み込んで使うのだろう。
「税金でサポートされる」というのはこういうことなのか、と思う。
プロフィール

あゆみ

Author:あゆみ
大人の(成人)発達障害です。「発達障害のわたしのこころの声」(学研)の著者です。
本には書けなかったこと、本を出してからの日々を綴っています。
会社員と一人暮らしが出来ていているのに、発達障害は確かなようです(診断済み)。



発達障害のわたしのこころの声 (ヒューマンケアブックス)

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